野村克也氏「責任は俺」、悲運の天才投手・伊藤智仁氏に25年ぶり謝罪の画像
野村克也氏「責任は俺」、悲運の天才投手・伊藤智仁氏に25年ぶり謝罪の画像

 1月3日放送の『消えた天才 超一流が勝てなかった人大追跡SP』(TBS系)に、元ヤクルトスワローズ監督の野村克也氏(82)が出演。同チームで、投手として活躍した伊藤智仁氏(47)に謝罪する場面が見られた。

 この日の番組には野村氏がVTRで登場し、1992年のドラフト会議で獲得した伊藤氏について語った。番組の説明によると、ドラフト直前の打ち合わせで野村氏は、甲子園で活躍した松井秀喜氏(43)のドラフト1位指名を目指すスカウト陣と大ゲンカしてまで、伊藤氏の獲得を主張したという。

 ドラフト会議では、読売ジャイアンツなど4球団が松井氏を指名する中、野村氏は伊藤氏を1位指名し、見事に獲得。そんな野村氏の期待に応えるかのように、150キロ台のストレートと高速スライダーを武器に、開幕から2か月半で7勝2敗、防御率0.91という驚異的な活躍を見せた伊藤氏だったが、シーズン途中で右ひじのじん帯を損傷し、戦線を離脱することになった。

 伊藤氏の故障について、野村氏は「ひじを壊していなければ、もっと長く活躍したと思う。俺が潰した」と告白し、苦悩の表情を浮かべた。事実、伊藤氏が戦線を離脱するまでの投球数は計1733球と、異常なほど多かったことから、野村氏は故障した伊藤氏に対し、後悔の念を抱き続けてきたという。

 そうした思いがありながらも、これまで伊藤氏に謝罪したことがなかったという野村氏が、番組の計らいで伊藤氏と再会することになった。野村氏が待つヤクルトの2軍球場に伊藤氏が到着すると、二人はがっちりと握手。そして、野村氏が「伊藤さんのおかげで、優勝監督にもなれた。日本一も味わわせてもらった」と感謝の言葉を述べると、伊藤氏は「とんでもないです」と笑みをこぼした。

 そんな中、野村氏は「(伊藤氏が)肩が痛いとか、ひじが痛いとか言ったときに、“責任は俺かな”っていうのは、すごく思っていた。使い過ぎたかなと。すごい申し訳ないなと思う。それだけは謝りたい」と伊藤氏に謝罪。さらに「間違いなく、俺以外の監督の下なら、記録は絶対に残している。俺が邪魔したみたいだ」と、伊藤氏を酷使した自身を責めた。

 それに対し、伊藤氏は「僕は(故障したのは)自分の責任だと思っていますし、そういうふうに特に思ってほしくない」と複雑な胸中を吐露。続いて、「ピッチャーは先発したら、完投するのが当たり前の時代で、何球投げようが関係ない。先発として、最後まで投げるのが使命だと思う。何とも思っていませんから、監督」と野村氏に語りかけると、野村氏は「それはありがたい」と答え、心のつかえがようやく取れたのか、安堵の表情を浮かべていた。

「故障後、過酷なリハビリ生活を続けた伊藤氏は1996年のシーズン後半にようやく1軍復帰を果たし、その翌年には、クローザーとしても登板するなど、全盛期を彷彿とさせる活躍を見せました。引退翌年の2004年からはヤクルトの投手コーチを務めてリーグ優勝にも貢献し、今季からは独立リーグの富山GRNサンダーバーズで監督を務める予定です。苦難を乗り越えてきた伊藤氏だけに、どんな采配を見せてくれるのか、楽しみですね」(スポーツ紙記者)――監督としての手腕に期待!

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