11月3日が「文化の日」なのはGHQの影響だった!その由来と歴史の秘話の画像
11月3日が「文化の日」なのはGHQの影響だった!その由来と歴史の秘話の画像

 毎年11月3日といえば、国民の祝日「文化の日」。学校や会社を休み、天気がよければ何となく出かけてみる人も多いだろう。しかし、なぜこの日が「文化の日」なのか? 説明できる人は多くないだろう。改めてその意味を調べてみた。

■11月3日は明治天皇の誕生記念日「明治節」だった

 第2次世界大戦が終わるまで、11月3日は「明治節」という祝日だった。これは明治天皇の誕生日を記念するため、1927年(昭和2年)にもうけられたもの。戦前の大日本帝国憲法下、当時の祝日法で「四大節(しだいせつ)」と呼ばれた祝日のひとつにあたる。

●「四大節」って何?

 戦前まで一般的だった「四方拝」「紀元節」「明治節」「天長節」、4つの祝日の総称が四大節(しだいせつ)だ。

【四方拝】(しほうはい)1月1日

 元日のことで、平安時代から神聖な日とされてきた。

【紀元節】(きげんせつ)2月11日

 日本神話において神武天皇が即位した日を国の始まりとして記念し、1873年(明治6年)にもうけられた。2月11日は旧暦の1月1日にあたる。1948年(昭和23年)に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって廃止されたが、1966年(昭和41年)に「建国記念の日」として祝日へカムバックした。

【天長節】

 ときの天皇の誕生日を祝う祝日で、最初に制定されたのは1868年(明治元年)。明治時代は11月3日(昭和になると「明治節」に変更)、大正時代は8月31日。昭和は「天長節」から「天皇誕生日」に改称して4月29日、平成は12月23日にあたる。

■「明治節」が「文化の日」になった背景にGHQアリ

「明治節」は敗戦後、1948年(昭和23年)にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって廃止された。旧祝日法から現行の祝日法へチェンジして以降、明治時代の祝日の多くがなくなった。

 そんな中、もともと明治天皇の誕生日だった11月3日が、現行の法律下でも祝日として残ったのは、日本国憲法の“公布”が1946年(昭和21年)の11月3日だったことに由来している。「明治節」を「憲法記念日」として存続させるため、11月3日を狙って公布したという説もある。最終的には新憲法の精神に関連づけ、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という趣旨で「文化の日」という名称の祝日になり、憲法が“施行”された日として5月3日が「憲法記念日」になっている。

 11月3日が祝日だという点は国民にとって変わらないので、単なる言葉の違いのようにも思えるが、「明治節」時代は現在とは違い、より行事色が強かった。学校では式典が催され、生徒たちは一張羅姿で唱歌を合唱したりするのが通例だった。

●他にもある、変更された祝祭日

【勤労感謝の日】11月23日

 かつては「新嘗祭」(にいなめさい/しんじょうさい)といって、飛鳥時代にはじまった農作物の豊穣を祝う日だった。戦後、「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう日」として「勤労感謝の日」へ変更。

【みどりの日】5月4日

 かつては4月29日が「みどりの日」だった。そもそも4月29日は昭和の「天皇誕生日」。1989年(昭和64年)に今上天皇が即位し、天皇誕生日は12月23日に改正されたが、ゴールデンウィークの祝日だったため、4月29日は「みどりの日」と改めて祝日として存続。2005年(平成17年)に祝日法が改正され、2007年から「みどりの日」は5月4日に移動。4月29日は「昭和の日」になった。

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