■内海桂子さん(95)「仕事をするのが長寿の秘訣」

 三浦雄一郎さんのように、80歳を過ぎて世界の最高峰に挑むのは、なかなか真似できることではない。しかし、超人的な体力を持たずとも、いつまでも若々しく、お元気な方はいる。御年95歳にして、今も月6~7回の舞台を務める漫才界のレジェンド・内海桂子さんにも、その健康の秘密を聞いてみた。

 12月中旬の土曜日。浅草にあるフランス座東洋館の舞台に内海桂子さんがトリで上がると「よっ、桂子師匠!」という掛け声とともに大きな拍手が沸き起こる。舞台で孫のような若い弟子2人と掛け合いを始め、弟子が詰まると、「ほら、ちゃんと口で返しなさいよ」

 困った様子の弟子を、「あんた、口で返すって言っても、キスじゃないのよ」と、いなして満員の観客を笑わせる。舞台のシメは得意の都々逸で、年季が入った三味線の音は、今も張りと艶がある。

 彼女の人気が不動のものとなったのは1950年、28歳のときに、故・内海好江さんとコンビを組んでからだった。その後、58年には、NHK新人漫才コンクールで優勝、82年には漫才師として初めて芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど、実力と実績を積み上げた。それにしても、今もなお、現役バリバリで舞台に立てる元気の秘密は、いったい何なのか。東洋館の近くにある喫茶店で話を聞いた。

「健康法と言ってもねえ、私、特別なことは何もしてないのよ。あえて言えば、漫才の仕事で頭と体を使ってること。これかしら」

 初舞台は16歳のときで、以来、音曲漫才師として舞台やテレビを飛び回った。「芸人は人と同じことをしては人気が出ないし、新しいことにチャレンジしなくちゃダメ。こう思って無我夢中、一生懸命に突っ走ってきました。でも、そんなことの繰り返しをずっと続けてきたことで、体も気持ちも、若さを保ち続けられたんだと思います」

●88歳でツイッターを開設

 チャレンジ精神は80歳、90歳になっても衰えず、88歳のときにはツイッターを始めた。ツイッターは今も毎日書き続け、つい最近もタクシーに乗ったときのことを、こうつぶやいている。〈シートベルト着用の自動案内も結構大きな音量で流される。このままでいくと来年は(着用を)お願いしますからしなさいと命令口調になるか。高齢者はシートベルトを探している内に着いてしまう。〉

 若い頃から体は丈夫なほうだったが、80歳を超えると、ちょっとしたことで転んだり骨折したりするようになった。「年を取ると姿勢が悪くなり、体のバランスが取りづらくなるんです。それに猫背になると、気持ちまで老け込んでしまいます。これではいけないと、姿勢を気にするようになりました」 家に帰ると、すぐに茶の間の柱を背にして、姿勢を正す自我流の体操をするようになった。

 95歳にして現役でいられる、もう一つの秘密は、現在、マネージャーを兼ねている夫・成田常也さん(71)の存在も大きい。ちなみに、24歳年下の成田さんとは、約10年の熱愛を経て、77歳のときに結婚――婚姻届を提出したのは初めてだから“77歳の初婚妻”ということになる。

「周りは、夫のことを“棺桶担ぎ”だの“墓守り”だのと言ってるけど、夫は私の食事や健康のことを本当に気をつけてくれるんです。とても感謝しています」

 彼女の健康長寿の秘密は、愛する仕事と夫に恵まれたこと、なのかもしれない。

三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう)
1932年10月12日、青森県生まれ。85歳。プロスキーヤー、登山家。70歳、75歳、80歳のときと、3度のエベレスト登頂経験を持つ。エベレストの最高齢登頂記録保持者。

内海桂子(うつみ・けいこ)
1922年9月12日、東京都生まれ。95歳。漫才師。10代の頃から漫才を始め、内海好江とのコンビによる音曲漫才で人気を博す。現在も、浅草・東洋館などで漫才の舞台に立ち続ける。

本日の新着記事を読む

  1. 1
  2. 2