「梶原一騎先生の劇画のラストにも描かれているように“ボランティアは最後までボランティアでなければいけない”という精神が『タイガーマスク』には脈々と流れているんです。それが、河村正剛氏は、ギャラ20万円をもらって講演をやったというじゃないですか。とんでもないですよ!」
本誌の取材に怒りを隠さないのは、昭和時代の元新日本プロレス専務取締役営業本部長で、『初代タイガーマスク基金』前最高顧問の新間寿氏(82)だ。新日時代、新間氏は“過激な仕掛け人”と呼ばれ、伝説の「猪木VSアリ戦」を実現させ、IWGPを創設。そして、梶原一騎氏の命を受け、81年に初代タイガーマスク(佐山聡氏)をこの世に誕生させた人物。
■“タイガーマスク運動”は大きなうねりを生み…
そんな新間氏が憤る相手・河村氏とは、2010年から始まった、児童養護施設などへの寄付活動「タイガーマスク運動」の先駆けになった人物だ。10年12月25日、群馬県中央児童相談所に10個のランドセルが届けられた。傍らには、漫画『タイガーマスク』の主人公“伊達直人”の名が綴られたメッセージが添えられていた。「これを行ったのが河村さんでした。そして以後、全国の児童養護施設へ“伊達直人”からの寄付が相次いだんです」(夕刊紙記者)
この“タイガーマスク運動”は大きなうねりを生み、翌年11年11月には、佐山氏を中心に『初代タイガーマスク基金』が設立される。河村氏は佐山氏と会い、意気投合。12年に基金に参加し、理事に就任した。そして16年12月7日、『初代タイガーマスク35周年記念イベント』で河村氏は、素顔でリングに上がり、実名を公表したのだった。
だが、この際のことを振り返り、「悔しい」と言うのが、前出の新間氏なのだ。「リングに上がった彼は、“私が伊達直人です”と名乗ったんです。ビックリしました。彼は日本全国で何千、何万人といるボランティア活動をしてきた“伊達直人”の一人であって、彼だけが伊達直人ではない。私は聞いた瞬間、すぐにリングに上がり、“今の発言は不遜だ”と怒るべきでした。行こうと思ったけどできなかった。一番のバカは、この新間寿ですよ」
■タイガーマスクを私物化するようなふるまいも…
河村氏への怒りは昨年12月、ついに限界に達することになる。「昨年11月19日に行われた東京都主催の福祉に関する講演会に彼は呼ばれたんですが、そこで20万円ものギャラをもらったというんです。ギャラをもらって、基金のことに使うのならまだいいですよ。でも、河村氏はそれをしない。しかも、その会のチラシには彼の名称が“タイガーマスク第1号”と書いてある。タイガーマスク第1号なんて、この世にいないですよ!」(前同)
お金だけの問題ではない。新間氏は、河村氏の「タイガーマスク」を私物化するような振舞いを許すわけにはいかなかったと話す。昨年12月30日、都内のホテルで河村氏には、『初代タイガーマスク基金』の理事解任が通達されたという。本誌は、河村氏に話を聞こうと、彼と提携し「タイガーマスク運動支援プロジェクト」を進める前橋市未来の芽創造課を通じ、取材したい旨を伝えたが、回答を得られなかった。自身の責任も感じ、河村氏の理事解任と同時に最高顧問を辞任。先の1月には都庁の福祉保健局にも事情を説明してきたという新間氏は、最後にこう語った。「タイガーマスクがいまだに人々に慕われ、語られるのは、原作の素晴らしさと、原作を超える動きをする初代タイガーマスク、佐山聡の素晴らしさであったからだ、と私は思います」
突如勃発した大騒動。決着の行方は!?