ヒロシ(お笑い芸人)「意地でも売れてやろうと思ったんです」1軍を見返す『人間力』 

 ずーっと3軍で生きてきたんです。そのとき、いつかお笑いで売れて見返してやるって思いがあったから、耐えてやってこられた。

 “ヒロシです”のネタがブレイクした当時は、お金の面でいえば、すごかったですよ。最高月収が4000万円でしたから。でも、その頃は仕事が忙しすぎて、通帳を見る暇もないし、感覚がマヒしていて、そんな興奮はしなかったんですよね。

 それよりも徐々にネタが浸透し始めて、初めて月収30万円台になったときが、一番うれしかった。当時、32歳で、ようやく人並みに稼げるようになったんだなと。あとは、風呂付の家に住んだとき。それまでは、銭湯通いでしたから。家の湯船の端っこに石鹸やシャンプーを置いたときは、一人で興奮していました。

 ブレイクしてお金も入ったので、外車に乗って、家賃39万のマンションに住んだんですよ。当然、女の子にもモテると思ったんですけど、全然モテなかった。どれくらいモテるのかを確かめようと思って。歌舞伎町のキャバクラにいったら、電話番号すら交換してもらえない。

 そうか、都心のキャバクラは芸能人慣れしているからなのかなと思って、中央線をどんどん下っていたんですが、国分寺まで行っても、サッパリでしたね。終いには、大島まで行ったんです。大島の方に失礼ですけど、大島ならキャーキャー言ってくれるだろうと。それが、黄色い声どころか、30分くらい誰も気づいてくれませんでした。

 ファンレターも結構、届いていましたけど、大体、筆ペンで書かれていますから。根強いファンの人って高齢の方が多いんですよね。さすがに、その年齢層の方と、どうこうしようって気にはね……。僕は出来る限り人に嫌な思いをさせたくない、それがネタ作りの根底にあるんですよ。だから、高齢者の方が気に入ってくれるのかなって思います。人の嫌なことを言うことに慣れてないんですよね。元々、いじめられっ子だったので。

 小学生のときって、班分けとかあるじゃないですか。そのときに、絶対余っていましたから。そういう思いをずーっとしながら生きてきたんです。そのときに漫才ブームがきて、テレビで『ツービート』さんの漫才を見て、“これだ”って思ったんです。

 テレビに出れば、1軍2軍の連中よりもモテるし、見返せると思った。それで、お笑い芸人になったんです。といっても、20代の頃は、まったく売れませんでしたけどね。30代になる頃には相方も辞めてしまった。そろそろ潮時なのかなと思いましたよ。それに、芸人になるときに、30歳までに売れなかったら、辞めようと思っていたんです。

 でも、辞められなかったんですよね。人よりも勉強ができるわけでもないし、人よりモテるわけでもない。過去の自分を振り返ってみると、嫌な場面が色々と甦ってくるんです。ずーっと3軍で生きてきたんです。そのとき、いつか、お笑いで売れて見返してやるって思いがあったから、耐えてやってこられた。それなのに、ここで辞めたら、過去の自分が哀れでしょうがなくなってしまう。

 そのとき、意地でも売れてやろうと思ったんです。“ヒロシです”のネタを作ったときが、今までの人生で一番、努力した時期でしたね。売れるために思いついたことはすべてやって、人と会うのが苦手なんですけど、売れるきっかけがあるんじゃないかと、ガンガン人に会いに行って、自分でネタを撮影して、ネタ番組に片っ端から、送ったりもしました。よっぽど切羽詰まっていたんでしょうね。それが、徐々に実を結んで、テレビに出られるようになったんです。まあ結局、売れたからといって、モテませんでしたけどね。

 最近は、営業だったり、カラオケ喫茶を開いてみたり、趣味で始めたキャンプ関連の仕事も増えてきたりと、色々とやっています。でもやっぱり、人と会うのが好きじゃないので、山でも買って、そこで生活しようかなと思っています。普段は山の中で生活をして、仕事がある時だけ、山を下るような暮らしをしてみたいですね。

撮影/弦巻勝

ヒロシ
1972年1月23日、熊本県生まれ。大学卒業、サラリーマンを経て、幼少期から憧れていたお笑いの世界へ。コンビを結成し、26歳で上京。32歳の時にコンビを解消し、ホストとコンビニでのバイトを掛け持ちしながら生活を続ける。酒が飲めず、ホストの仕事に耐えきれず、熊本に逃げのびる。そこで、考えた“ヒロシです”のネタで一躍ブレイク。05年をピークに仕事が減ったものの、11年にネタを集めた書籍『ヒロシです。華も嵐ものり越えて――』を刊行後、テレビ、舞台などの仕事が増え、再び注目を集める。16年には、日めくりカレンダー『まいにち、ネガティブ』が10万部以上のヒットを記録した。

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