織田信長、豊臣秀吉、徳川家康…日本人が一番好きなのは誰?の画像
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康…日本人が一番好きなのは誰?の画像

 日本史マニアの中で、特に人気があるのは、なんといっても“戦国時代”。数々の名将がいて、知略謀略を繰り返しながら天下統一を目指すエピソードに、ロマンを感じる人も多いだろう。近年は歴史好きな女性たちが“歴女”と呼ばれるなど、歴史ファンは老若男女を問わず増えつつある。

 戦国時代でもとりわけ人気が高い武将は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の、日本三大名将。日本人なら知らない人はいないだろうこの三人は、現在の愛知県(当時の尾張国と三河国)出身で、戦国時代において天下統一に向けて活躍したことから、“三英傑”とも呼ばれている。ホトトギスを用いて人柄を表した話はあまりに有名で、逸話も枚挙にいとまがない。そんな人気の三人、世間ではいったい誰の人気が一番高いのだろうか。今回は、日本全国から男女20~80代、合計200名に“誰派”かを聞いてみた。

 第3位(23%)は、豊臣秀吉だった。秀吉といえば「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」。一見すると不可能なことでも奇抜な発想、創意工夫で切り抜けてしまう、今でいうならクリエイティブな人柄だったとされている。

 そんな秀吉は、尾張国の農民出身だったともいわれており、当初は今川家に仕えるも織田信長に仕官してから足軽を経て出世を重ね、ついには天下統一を果たすという、胸熱の立身出世ストーリーの持ち主だ。信長に仕えていた頃、草履を懐で温めていたエピソードも有名で、秀吉の忠誠心、アイデアマンとしての才覚が感じられる話として伝えられている。

 信長が本能寺で明智光秀に討たれた後は、すぐに光秀を破り、信長の後継者となり、大坂城を築城して、とうとう天下統一を果たしてしまった。その後は、太閤検地や刀狩令、石高制といった政策で、国内の統合を推進するなど、治世の才能を発揮した。朝鮮出兵時に病没し、大坂の陣で豊臣家は滅ぼされてしまうが、農民から天下人へと至った生涯は、サクセスストーリーとしてとても魅力的だ。

 続く第2位(37.5%)は織田信長。信長といえば、幼少の頃から奇行や奇抜な言動が多く“尾張の大うつけ者”と呼ばれていたという逸話がある。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と性格をたとえられるように、好戦的で冷酷といったエピソードは多く、比叡山の焼き討ちなど仏教勢力に対する厳しい軍事行動も目立つ。

 長篠の戦い、桶狭間の戦いも有名だが、大規模な街道整備による治安の向上や税収の底上げ、楽市楽座の実施など、経済活性化の政策はとてもユニークだ。個性豊かで人気もあることから、映像作品だけではなく、数々のゲームやアニメでも取り上げられ、優しいイケメンキャラ、豪快な兄貴キャラとして定着している信長。ここからも、その愛されぶりがうかがえる。

 そして、第1位(39.5%)に輝いたのは、徳川家康。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の家康は、チャンスが到来するまでひたすら待つ忍耐力で天下を手に入れた。

 家康は三河国の出身で、幼い頃は織田や今川家の人質となり、駿府で過ごしたこともある。信長と同盟を結んで駿府を治め、秀吉と和睦を結んで関東を支配下に。豊臣氏五大老の筆頭になり、秀吉の死後は関ヶ原の戦いで石田三成を破り、慶長8年(1603年)には征夷大将軍となって江戸幕府を開いた。日本最長の幕藩体制の礎を築いたという点では、最終的に成功を収めた人物として信長の人気を上回ったのかもしれない。

アンケートサイト「ボイスノート」調べ
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