おみくじには創始者がいた! 木の枝に結ぶ意味の由来ほか、歴史を学ぶの画像
おみくじには創始者がいた! 木の枝に結ぶ意味の由来ほか、歴史を学ぶの画像

 初詣に欠かせないものといえば「おみくじ」だろう。お正月でなくとも、寺社仏閣でお参りしたら、引いてみたくなるのが日本人だ。そんなおみくじも、ちょっとしたマナーや内容の意味を知ると、何倍も奥深い。“占いは当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦”。おみくじは吉凶の結果よりも、それ以外の文面が重要だった。文章をよく読めば、自分がどのように行動すれば幸運が訪れるのか、そのヒントが浮かび上がってくる。

■おみくじが生まれたのは平安時代

 大昔から国の行方を占い、方針を決めるため、神の意志を占う意味で“くじ”を引いていたのが原型。平安時代以前には“くじ”で占う際、神様からのお告げが巫女を介して和歌のような形で伝えられていた。

 古くから寺社仏閣で設置されているのが、筒状、または八角形柱状の木の箱からみくじ棒を振り出し、先端などに記された番号を受付に渡してみくじ箋を受け取るおみくじ。

 これは「元三大師おみくじ」と呼ばれるが、その創始者は、平安時代の僧侶「良源上人」(元三大師/がんざんだいし)だとされている。良源上人が観音菩薩に祈祷した際、観音籤(くじ)を授かったことから、紙で啓示を受け取る形式が発祥したといわれている。

 比叡山延暦寺にある元三大師堂では今でも、まず元三大師さまにお伺いしたい内容を紙に書き、修行を積んだ僧侶に内容について尋ねられた後、僧侶がおみくじを引き、内容についてアドバイスをもらう、という伝統的なスタイルのおみくじを体験できる。

 初期は巫女や僧しか引くことができないものだったが、鎌倉時代から、おみくじは寺社仏閣に参拝した一般の人々が運勢を占うために引くものに変化。「くじ」(籤)に尊敬の「御」(み)をつけて「みくじ」という名詞になり、さらに「お」(御)が加えられて、現在では「おみくじ」と呼ばれている。

●現代のおみくじの7割は山口県で作られていた!

 全国にはおみくじを製造する神社がいくつかあり、山口県周南市の「女子道社」は最大手として有名。ここで全体の約70%が生産されている。「女子道社」では「OMIKUJI」として英語版も作ってハワイなどへ輸出、さらにはおみくじの自動販売機も考案している。

■吉凶の種類と縁起がいいランクは?

 「大吉」と「大凶」が両極に位置するのは分かるが、2つの間にある吉凶の種類やランキングを把握している人は多くないだろう。それもそのはず、吉凶の数や順番は寺社仏閣によって異なり、幾つものパターンが存在する。おみくじを販売しているところに解説が掲示されているはずなので、引いたらチェックしよう。ここでは、参考までに代表的なパターンを取り上げてみる。

●【基本的な5段階パターン】

大吉 吉 中吉 小吉 凶

●【より複雑に分類されているパターン】

大大吉 大吉 向大吉 末大吉 吉 中吉 小吉 半吉 後吉 末吉 末小吉 平 凶 小凶 半凶 末凶 大凶 大大凶

●吉凶のブレンド比はどれ位?

 ではどれ位の比率で吉凶のおみくじが配合されているのだろうか。「◯◯寺」は凶が出やすいとか、「◯◯大神宮」は大吉が多いなど、都市伝説や噂は気になるところだ。

 実際のところ、その割合は寺社仏閣によって異なる。大吉を多く入れ、大凶は入れないというところもあるし、浅草の浅草寺では古来から、「くじ100本中、凶は30本」と厳密に決められているという。みくじ箋の番号も寺社仏閣によって100番まであったり、30番、50番までだったりとバラバラだ。ちなみに明治神宮のおみくじには、吉凶そのものが書かれていない。

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