小泉純一郎、内閣総理大臣在任「1980日の裏側」の画像
小泉純一郎、内閣総理大臣在任「1980日の裏側」の画像

 2月16日、小泉純一郎元首相が初めての回顧録『決断のとき――トモダチ作戦と涙の基金』(集英社)を上梓した。電撃訪朝、郵政解散、角福戦争……36年にわたる政治遍歴で、今だから話せる聖域なき“爆弾話”が盛りだくさんという。この本を、純一郎氏と共著という形で世に出したノンフィクションライターの常井健一氏によると、「(純一郎氏は)現職時代、“回顧録は出さない”と言い続けていましたが、ついに決断のときを迎えました。自身の名前で政治遍歴を活字にするのは、もちろん初めてです」

 ふだんは無口な純一郎氏が話したことを、常井氏が時間をかけてまとめた“聞き書き”のスタイルを大部分で取ったが、「プリントアウトしたものを小泉さんに渡すと、ビックリするくらい直しや追加の文章が入ってきて、修正と呼ぶレベルではなかった(笑)。相当な意気込みを感じました」(前同) それだけに内容は濃厚だ。

■北朝鮮の“ミスターX”が!

 2001年4月26日から06年9月26日までの5年5か月にわたる内閣総理大臣在任を象徴するのが、02年9月の電撃訪朝。金正日国防委員長(当時)と初の日朝首脳会談を実現した歴史的出来事だが、実際は一筋縄ではいかなかった。“ミスターX”と呼ばれる北朝鮮側の担当者からは、「小泉が来れば、将軍様は会うと言っている」とだけ示されたうえでの訪朝だったそうだ。著書では、〈当然、盗聴器が仕掛けてあるでしょう。現地に泊まるわけにもいきません。滞在時間も限られていました。私は昼食会の誘いを断り、休憩中に日本で買っていったおにぎりを食べようとしましたが(中略)口にする気力もありません〉と当時の緊迫した状況を振り返っている。

■“郵政解散”の会見前にトヨタ自動車会長らと食事会

 また、05年8月8日の午後8時半、純一郎氏は記者会見を開いて、「それでも郵政民営化は必要だ」と衆院解散を宣言。代名詞にもなった“郵政解散”を行ったが、実は、その会見に挑む直前、奥田碩・トヨタ自動車会長(当時)らと食事会を設けており、30分の間に、日本酒を2合も飲んでいたという。〈「酒気帯び会見」なんてばれたら、相当騒がれた〉というのは、まさに今だから話せるエピソード。〈結果的に緊張感がほぐれて良かった〉と回顧する辺りは、やはり百戦錬磨の政治家なのだ。

■小泉進次郎はどうなるのか!?

 こうした裏話だけでなく、「“いれずみ大臣”と呼ばれた祖父・又二郎氏(1865~1951年)や父・純也氏(1904~69年)ら家族について明かすのは、そもそも初めて」(前出の常井氏)だそうだ。又二郎氏は、濱口雄幸内閣などで逓信大臣を務めた人物。幼少期の純一郎氏もいれずみを見ており、〈風呂から上がると、体が赤くなって背中の模様が綺麗に引き立った〉と振り返ったうえで、〈手彫りだから、血は出る熱は出る〉にもかかわらず、〈なぜ入れたのか〉と疑問に思ったそうだ。「純一郎氏は“突然変異”の変人総理といわれましたが、いれずみ大臣の祖父や、“誰よりも演説がうまかった”とする雄弁家の父が作り上げた“小泉流”の家元の継承者なんです」(前同)

 常井氏は、純一郎氏の息子・進次郎氏に長年の密着取材を行っている。「進次郎氏は、小泉流の忠実な体現者。今後、彼がどうなるかは、純一郎氏の政治遍歴を追うと見えてきます。だから、この本を読んでほしいですね(笑)」(同)

 今後の政局を占うためにも読んでおきたい!?

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