諏訪魔(プロレスラー)「プロレスを通して、伝えたいことがたくさんある」耐える人間力

 リングって、やっぱり不思議な力があるんですよね。お客さんに見られて、興奮するから普段と違う力が出る。試合中に脳震盪になっても、お客さんが見ているので、試合は続きますからね。

 僕も、タイトルマッチ中にアキレス腱が切れちゃったことがあるんですけど、全然痛くないんですよ。だから、その日の夜も試合に出ていたし、その後も自分が主催する大会があったから、これは絶対に休めない。結局4試合したんですよ。これは、切れてはないだろうなと思っていたんですが、病院に行ったら、断裂していると。

 プロレスをやっていると、ケガだけでなく、大半が辛いことですよ。罵声を浴びせられることなんてしょっちゅう。10年前、両国大会のメインイベントで60分ドローになったときは、ものすごい罵声を浴びせられたし、最近だと天龍さんの引退興行で藤田和之と戦って、いい試合にならなくて、ブーイングの嵐になったこともあった。

 デビューして1年ぐらいは、すげえ楽しかったんですよ。元々、オリンピックを目指してレスリングをやっていたんですが、馳浩さんに誘われてプロレスに転向したんです。今思えば、会社もすごいプッシュしてくれたし、おれが目立つように、ほかのレスラーがある程度気を遣ってくれていたんだと思いますが、自分が技をかけると、お客さんも盛り上がってくれるし、プロレスってめちゃくちゃ楽しいって思いましたね。

 それが、デビュー1年くらい経ったときに、鈴木みのるというレスラーに触れて、粉々に潰されたんです。やりたいことを何もさせてもらえなかった。自分で目立とうというのがなければ、空気になって終わってしまう危うさっていうのを、まざまざと見せつけられた。こんなにも潰される世界なんだっていうのが、衝撃でした。リングは、やっぱり怖えところなんだなって。

 それから、自分の身は自分で守らないと、と思うようになったんです。それでも、やっぱり潰されてしまうことが、何度もあるんですよ。佐々木健介さんに伸びてきた鼻をグニャグニャに潰されたし、あとは、川田利明さん。両国での試合中に、記憶を飛ばされましたからね。多分、エルボーをアゴに思いっきり入れられたんだと思います。意識はあるんですけど、もうリングに立っているのがやっとの状態で、戦うことができなくなってしまった。

 何度も潰されてきましたけど、こうして、プロレスを続けてこられたのは、途中で逃げ出すのが、嫌だから。それだけ。これは、もう高校時代からなんですよ。当時、柔道部だったんですが、体はデカかったけど、細かった。だから、先輩に狙われて、一番いじめられた。昔の体育会ですから、もう、ここでは書けないくらい陰湿で、いまでも思い出すほど。

 親にも言えないじゃないですか。そういう辛さもありました。でも、辛くて逃げたら、そいつらに負けたことになる。絶対に、あいつらより強くなってやろう、見返してやろう。そのためにも、耐えてやろうと、その一心だったんです。

 今思えば、そういう経験も全部肥やしになっていますよ。その分、人間がひん曲がっちゃいましたが(笑)。

 僕なんてまだ、プロレスラーになって13年しか経ってないんで、まだまだですよ。積み上げてきたものも大したものではないと思うので、プライドみたいなものはありません。40年以上やっている方もたくさんいる世界ですから、自分なんてまだ全然だなあと。ゴールもまったく見えていません。ただ、ずっと戦い続けていきたいなとは思います。

 やっぱり、プロレスが好きだし、プロレスを通して、伝えたいことがたくさん自分の中から湧き出てくるんです。それが、観客に伝わったときの感覚が、やみつきになるんです。そういうものをしっかり伝えられるように、これからもリングに上がり続けていきたいですね。

撮影/弦巻勝

諏訪魔(すわま)
1976年11月23日生まれ。神奈川県藤沢市出身。高校時代は柔道部に所属し、大学ではレスリング部に。02年には、国体優勝を果たす。04年のアテネ五輪出場を目指していたが、自身の階級の出場枠がなくなり、全日本プロレスに電撃入団。08年にはデビューわずか4年で三冠ヘビー級王座を戴冠。その後も数々のタイトルを獲得し、全日本プロレスのエースとして活躍。17年には、石川修司とのタッグでプロレス大賞最優秀タッグチーム賞を受賞。

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