七夕伝説の発祥の地はどこ!? 由来や歴史を探るの画像
七夕伝説の発祥の地はどこ!? 由来や歴史を探るの画像

 7月7日といえば「七夕」の日。子どものころに家庭や幼稚園、保育園などで短冊にお願いごとを書いて笹にくくりつけた経験を持つ人は多いであろう。今回は、七夕の発祥や歴史について解説していきたい。

■「七夕」とは?

 ご存じのとおり、7月7日は「七夕」(たなばた)。七夕は、中国で行われていた行事が奈良時代に日本に伝わり、日本の伝説「棚機津女」(たなばたつめ)と合わさるかたちで定着していった。江戸時代に「五節句」(ごせっく)のひとつとしても定められた七夕は、今となっては日本の伝統的行事といえる。あまり知られていないのだが、「しちせき」とも読む。

 旧暦が使用されていた時代の七夕行事は、「お盆」と関連づけて行われることが多かった。というのも、旧暦でのお盆は7月15日。七夕行事は7月7日もしくは7月6日の夜に行われていたため、“お盆の前の行事”と捉えられていたのである。そして、新暦が使用されるようになってから、旧暦7月7日、新暦7月7日、ひと月遅れの8月7日と、いずれの時期に七夕行事を開催するか、地域によって分かれるようになった。

 新暦7月7日は、まだ梅雨明けしていない地域も少なくなく天候に恵まれにくいというデメリットがあり、また晴れたとしても月のサイクルの関係上「天の川」が見られる年と見られない年とがある。他方、旧暦7月7日は、月が必ず“上弦の月”となり早い時間帯に沈むため、月明かりに邪魔をされず、天の川が見えやすい。

 現在日本各地で盛んに行われている「七夕祭り」の開催時期も、7月7日前後もしくは8月7日前後と、地域によって異なっている。

■七夕の起源

 七夕は中国から伝わった行事であることに先ほども触れたが、七夕にまつわる諸説、エピソードはいくつか存在している。今回は、有力なものを3つ紹介する。

●織姫と彦星の伝説

 天の川西岸に住んでいる織姫(=こと座一等星ベガ)は、機織りが上手な働き者。天の川東岸に住んでいる牛使いの彦星(=わし座アルタイル)もまた、とても働き者。織姫の父親である天帝は娘の結婚相手を探していて、そんな二人を引き合わせたところ、二人は意気投合してめでたく結婚した。ところが、仲睦まじい二人は仕事をせずに遊んでばかりいるようになってしまった。これに怒った天帝は、天の川を隔てて二人のことを引き離したところ、二人は相手を恋しがって悲しみに暮れる。見かねた天帝は年に1度、7月7日だけは会うことを認め、織姫と彦星は7月7日の再会を楽しみにしっかりと働くようになった。そして迎えた7月7日、二人はカササギの翼に乗って天の川を渡り、逢瀬を楽しんだ。

 これが七夕の諸説として最もよく知れ渡っている、「織姫」(おりひめ)と「彦星」(ひこぼし)の伝説。これはは、中国の神話伝説「牛郎織女」(ぎゅうろうしょくじょ)から来ている。なお、彦星は「牽牛」(けんぎゅう)という名前が使われていることもある。

●「乞巧奠」

「乞巧奠」(きこうでん)は、上の項目にて紹介した織姫と彦星が、7月7日の夜、年に一度の逢瀬を祝福して行われる中国の行事である。機織りの名人だった織姫にあやかって庭の祭壇に針などをお供えし、機織りや書道、そのほかの手習いごとが上達しますようにと、夜空の星に祈りを捧げる。ちなみに、「乞」とは願うという意味、「巧」とは上達するという意味、「奠」とはまつるという意味である。

 乞巧奠が日本に伝えられたのは、奈良時代で、宮中行事として催されるようになった。

●棚機(たなばた)

 お盆前であり、稲が開花したり麦を収穫したりする時期でもあったのが、旧暦の7月。7月7日の夜に行われる「棚機」(たなばた)という行事では、お盆に先立ってご先祖様を迎えるために、乙女たちが水上の機屋(はたや)にこもり、けがれをはらい、着物を織って、ご先祖様に秋の豊作をお祈りした。棚機に選ばれた乙女たちは「棚機女」(たなばたつめ)と呼ばれていた。

「棚機」と「乞巧奠」が混ざるかたちで、現在の七夕が定着したといわれている。

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