今年の1月、音楽プロデューサーの小室哲哉氏が不倫疑惑騒動の記者会見を行った際、芸能界引退を電撃発表し、世間を驚かせた。小室氏といえば、1990年代初頭から、自身の楽曲を提供するプロデュースを積極的に展開。楽曲を提供された安室奈美恵や華原朋美などの歌手たちは小室氏とともに“小室ファミリー”と呼ばれ、注目を集めたが、他にも意外な女優たちがかつて小室ファミリーの一員だったことを覚えているだろうか。
まず初めに紹介するのが、女優の観月ありさ。なんと、小室氏が手がけた作品を12曲も歌っており、中でもキリンの炭酸飲料“シャッセ”のCMソングにもなった『TOO SHY SHY BOY!』(1992年)は、オリコン週間チャートで最高4位を記録するなど、話題を呼んだ。だが、2004年2月にベストアルバムをリリースしてからは、女優業が多忙になったこともあり、歌手活動をセーブしてしまった。
1994年に小室氏プロデュースの『恋しさと せつなさと 心強さと』を歌い、200万枚を超える大ヒットとなったのが、女優の篠原涼子。同年の第36回日本レコード大賞優秀賞に輝いた他、『NHK紅白歌合戦』に初出場するなど、歌手として全国に篠原涼子の名前を知らしめた。翌年にも、小室氏が作詞作曲をした『Lady Generation』をヒットさせたが、その後、小室氏のプロデュースから離れ、井上陽水や広瀬香美が作詞作曲をした作品などを歌った。しかし、その後は篠原も女優業に専念するようになり、歌手活動はフェイドアウト。2015年には、出演したテレビ番組で「(今後は歌は)やらないです」と語っていた。
内田有紀もオリコンで1位に!
あまり知られていないが、女優の内田有紀も小室ファミリーの一人だ。1994年にデビュー曲『TENCAを取ろう!−内田の野望−』がオリコンの週間チャートで初登場1位を獲得し、歌手としての評価が高まると、翌年には小室氏のプロデュースで『Only you』をリリース。これがオリコンで最高2位を記録したのをきっかけに、その後、小室氏から作品を数曲提供してもらっている。現在は女優業に専念しており、歌手としての活動は99年を最後に、ほぼ休止している。
小室ファミリーといえば、女優の宮沢りえも忘れてはならない。87年に初代リハウスガールとして注目を集めると、その2年後、小室氏プロデュースの『ドリームラッシュ』で歌手デビューした。翌年の90年には、小室氏から提供されたセカンドシングル『NO TITLIST』がオリコンチャートで最高1位を記録する大ヒット。その勢いのまま同年の『NHK紅白歌合戦』に、小室氏の曲ではないが、デヴィッド・ボウイの『Fame』のカバー、『Game』で初出場している。2014年12月7日放送の『ヨルタモリ』(フジテレビ系)で観月と共演した際には、「私たちが元祖小室ファミリーなんだよ」と語っており、小室ファミリーの一員としての自負を、今も持ち続けているようだ。
かつて一世を風靡した小室ファミリー。今をときめく女優たちまでもが、その一員だったとは、若い人たちにとってみれば、にわかには信じがたいことだろう。