『笑点』の意外な事実「林家木久扇はラーメンを作れない」!?の画像
『笑点』の意外な事実「林家木久扇はラーメンを作れない」!?の画像

 1966年の放送開始から50年を突破した『笑点』(日本テレビ系)。前回記事(https://taishu.jp/articles/-/58897)で番組のトリビアを何個か紹介したが、高視聴率を連発するお化け長寿番組にはまだまだ秘密があった。

■まだある『笑点』のトリビア

●その二〇、『笑点』から生まれたアイドルグループ

 山田隆夫、新井康広、江藤博利、今村良樹という「ちびっ子大喜利」の常連が「座布団10枚獲得」のご褒美としてレコードデビュー。「ずうとるび」というグループ名でデビューしたところ大ブレイク。紅白歌合戦にも出場した。

●その二一、『笑点』のテーマソングの作者は?

 大リーグ・マリナーズで活躍中の城島が自らの入場テーマに使おうとしたのが『笑点』のテーマ。あの印象的なメロディーを作ったのは、「上を向いて歩こう」の作者としても知られる中村八大さん。現在は着メロでも大人気だ。

●その二二、木久扇はラーメンを作れない!

「全国ラーメン党党首」であり、木久蔵ラーメンの主宰者である林家木久蔵(現・木久扇)、ラーメン作りもお手のものと思ったら、実は自分ではラーメンが作れない。このことは、30周年記念のスペシャル番組のなかで暴露されてしまった。

●その二三、木久扇がラーメン党ならこん平は「ごはん党」

「今日も元気だ、ごはんがうまい!」林家こん平は、平成4年に旗揚げされた「日本ごはん党」の旗揚げメンバー。党首は作家の嵐山光三郎。こん平は「実りと水田PR担当」として精力的にごハンの普及活動に務めていた。

●その二四、故5代目三遊亭円楽は「笑点」を3度辞めた

 最初は故立川談志のブラックユーモア路線に反発してメンバーが総入れ替えとなった69年、2回目は「落語に専念する」と宣言した77年。そして06年5月の放送開始40周年特番での番組勇退。『笑点』の前身『金曜夜席』での司会降板を入れれば3.5度辞めたことになる。

●その二五、「座布団供養」の真実

『笑点』で使われた座布団を供養する『座布団供養』が東京・浅草寺で大々的に行なわれたのは73年8月28日。日本テレビ開局20週年記念イベント『笑点まつり』の一環として行なわれた。座布団の正式供養はこれが最初で最後とか。

●その二六、円楽が「星の王子様」役で映画出演した!

 先代円楽はその端正なルックスから「星の王子様」というキャッチフレーズでブレイクした。当時人気絶頂のアイドルグループ、ザ・タイガースの主演映画『世界はボクらを待っている』のなかで師匠は実際に、星の王子様(ナルシス殿下)役で出演している。

●その二七、円楽の麻雀はプロ級の腕前

 昭和30年代、二つ目時代から真打ちに昇進する頃、5代目円楽は高座が終わると雀荘に直行するほど麻雀が好きだった。その腕前は相当なもので、小島武夫プロが「落語家にしておくには惜しい」と驚嘆したほどだったという。

●その二八、歌丸は化粧品のセールスをやっていたことがある

 桂歌丸は中三の秋に5代目古今亭今輔師匠のもとに入門したが、あるとき、師匠の元を飛び出した。桂米丸門下に入るまでの苦労時代に、ポーラ化粧品のセールスマンをやっていたという。女性の化粧の仕種がうまかったのはそのせいか?

●その二九、ハゲそうでハゲない歌丸ヘアの秘密

『笑点』のメンバーにさんざん「ハゲ、ハゲ」と罵られ続けた歌丸だが、実は人並みはずれて額が広いというだけで、「ハゲ」ではなかった。むしろ、ハゲそうでハゲないという状態を何十年もキープしてきた奇跡の男なのだ。

●その三〇、木久扇が真似る老人の正体

 林家木久扇が、身体を小刻みに震わせながら、モノマネするよぼよぼの老人がお馴染み林家彦六(八代目・林家正蔵)。木久扇のモノマネによって、彦六の愛すべき人柄は、本人を知らない世代にも確実に伝えられた。

●その三一、番組内で「手打ち式」

 三波伸介時代の『笑点』では、歌丸と三遊亭小円遊の「ハゲ、年寄り」「キザ、バケモノ」という罵り合いがエスカレート。「あの二人を仲直りさせて欲しい」という視聴者からの要望が殺到し、72年8月23日、番組内で「和解式」が行なわれた。

●その三二、芸名の由来は「きつねうどん」

 こん平が入門した頃、初代林家三平師匠の奥さん香世子さんから「笠井くん(本名)の名前はコンちゃんでどう。いま、きつねうどんを食べてるし、目がつり上がってきつねに似てるから」と言われ、目出たい名前だということで決定!

●その三三、2人の師匠を持つ木久扇

 木久蔵(木久扇)は当初、桂三木助門下に入門したが、ほどなく三木助が亡くなり、8代目林家正蔵(彦六)の元に預けられた。両師匠から、「木」と「蔵」の名をいただき、「長く久しい」という意味で「久」の文字を加えたのが芸名の由来という。

●その三四、上から読んでも下から読んでも…

 三遊亭小遊三の師匠は三遊亭遊三、上から読んでも、下から読んでも同じ読みというしゃれた名前だ。それに「小」をつけたのが小遊三という芸名。この名前には、将来「遊三」を継ぐという意味が込められている。

●その三五、レギュラー陣の紋付の模様は

『笑点』レギュラー陣は、みんな紋付の着物を着ている。5代目円楽「丸に桔梗」、歌丸「丸に横もっこう」、こん平「花菱」、木久蔵「細輪に光琳づた」、好楽「八角かたばみ」、小遊三「高崎扇」、6代目円楽「三ツ組橘」、たい平と三平はこん平と同じく「花菱」、春風亭昇太は「五瓜に唐花」、といったところ。

●その三六、アナウンサー大喜利でブレイクしたのは?

 84年新春特番としてお茶の間に初登場し、人気が出たのが「アナウンサー大喜利」。このコーナーに出演し、意外な側面を見せて「バラエティアナ」のハシリとなったのが「あ、さてー」の面白マジメアナ小林完吾さんだった。

●その三七、「つつもたせアナ」大会があった!?

 女子アナ大喜利が始まった当初、新聞の「ラテ欄」には「笑点、美人局アナ大喜利大会」という文字が踊った。もちろん「美人」「局アナ」大喜利大会なのだが。「美人局(つつもたせ)」「アナ」とも読める。間もなく、この表記は改められた。

●その三八、山田くんは落語家兼任

 座布団運びで活躍する山田くん。実は鈴々舎馬風に弟子入りして、鈴々舎鈴丸という芸名をもらった「落語家」でもある。得意ネタは、ずうとるびでの活躍を面白おかしく伝える「紅白への道」という新作落語だ。

●その三九、ハリウッド映画に出演した山田くん

 スピルバーグ監督が日本人俳優を募集しているというのでオーディションに行った山田くん。自らの資料として『笑点』のビデオを渡した。それが功を奏したのか『太陽の帝国』という作品で夢のハリウッドデビューを果たした。

 知って得する『笑点』トリビア。続きはまた近日!

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