『笑点』、スタッフルームに「アメ」が常備されている理由の画像
『笑点』、スタッフルームに「アメ」が常備されている理由の画像

 1966年の放送開始から50年を突破した『笑点』(日本テレビ系)。前々回(https://taishu.jp/articles/-/58897)、前回(https://taishu.jp/articles/-/58899)と番組のトリビアを何個か紹介したが、高視聴率を連発するお化け長寿番組にはまだまだ秘密があった。

■まだまだある『笑点』トリビア

●その四〇、『笑点』の着物革命

 その昔、落語家の高座着といえば黒紋付が相場だった。ところが『笑点』の大喜利メンバーは林家木久扇の黄色、三遊亭小遊三の水色というように実にカラフル。この影響で、実際の寄席でも色付きの着物を着るのが当然になってきた。

●その四一、ピンクの着物は“短命”だった

 70年、最初にピンクの衣装を着たのは三遊亭円窓、その後、三笑亭夢之助、桂才賀、三遊亭好楽と受け継がれている。好楽までは「この色を着ると早期降板」という嫌なジンクスがあったのだ。好楽がこの流れを止めた。

●その四二、もう一つの目玉企画

 今でこそ演芸と大喜利の二本立てが定着してしまった『笑点』だが、談志時代は「対談コーナー」、三波伸介時代は「なんでもコーナー」、円楽時代初期は「よろずガイダンス」というコーナーがあり、さまざまなゲストが登場した。

●その四三、あっと驚く超豪華ゲスト陣

『笑点』にゲスト出演した有名人だけで『戦後文化史』が構成できるといっても過言ではない。列挙すると岡本太郎、寺山修司、手塚治虫、横尾忠則、石原慎太郎、そして銀幕の大スター・長谷川一夫までが登場していた。う~ん、豪華!

●その四四、好楽が株番組を降ろされた理由

 好楽はかつて日本短波放送で「レディス投資サロン」という株番組を担当していた。ところがバブル崩壊のおり、推奨していた株が軒並み下落。「アハハ、下がっちゃった」と明るく笑い飛ばしたところ、「不謹慎」と降板させられてしまった。

●その四五、馬と会話する競馬評論家

 好楽は「馬と会話する競馬評論家」として報知新聞の競馬欄で予想をしていた。しかし、この予想が外れまくり、まったくかすりもしなかった。たった一度「大当たり」があったが、それもガチガチの本命・対抗という情けなさ……。やっぱり馬語は難しい!

●その四六、木久扇春歌「いやんばか~ん?」の秘密

「いやんばか~ん、そこはおチチなの~」という歌を木久扇が歌っているのをきいたことがある人は多いだろう。レコードにもなっているこの歌、慰安旅行で仕入れたネタを元に木久扇がアレンジしたものらしい。

●その四七、こん平の出身地「チャーザー村」とは?

 こん平は新潟県の「チャーザー村」の出身ということになっている。実際の出身地は新潟県刈羽根郡小国町。あれ、と思ったら、このあたりの旧地名が千谷沢村。“ちやざわむら”がなまって“チャーザーむら”となったものらしい。

●その四八、メンバー全員が同時に座布団10枚獲得したことがある

 92年5月10日のこと。商品は「究極の岩清水(いわしみず)」のはずだったが、山田くんが、運ぶ途中でこぼしてしまい、急きょ内容をチェンジ。イワシを漬けた水(いわしみず)が全員に気前良くふるまわれた。

●その四九、放送開始当時の「日曜夕方」は視聴率の不毛地帯だった

『笑点』がスタートした66年当時、日曜日夕方の時間帯は「視聴率がとれない」ということで各局とも放送を休止。どのチャンネルを回しても砂嵐状態だった。そこに殴り込んだ『笑点』が荒野を切り開いて笑いの種をまいたのだ。

●その五〇、円楽はいつから「腹黒い」のか?

 登場した頃はおとなしかったものの、いつのまにか「馬は黙ってろ」「骨と皮の生ミイラ」「落語で食えないからラーメンを売ってる」など他のメンバーを罵倒する「腹黒キャラ」がすっかり定着してしまった6代目三遊亭円楽。実は“最初から”腹黒かったらしい。

●その五一、座布団が10枚をオーバーしたことがある

 あるとき、すでに小遊三が10枚ためていることに司会の故5代目三遊亭円楽が気づかず11枚目を渡そうとしたところで、気がついた。「このままいっちゃえ」ということになり10枚以上が3人に。結局13枚の小遊三がごほうびを受け取ることになった。

●その五二、収録会場にあめ玉が用意してあるわけ

『笑点』のスタッフルームには何種類かのあめ玉が常備してある。これは、出演者の咽を守るためのものではなく、公開録画の最中に子どもが客席で泣き出したときになだめて泣き止ませるためのものだという。

●その五三、心霊研究家・新倉イワオは笑点のスタッフ

 93年11月14日、座布団10枚ためて「美女と滝修行」するはずの木久蔵(木久扇)の背後に心霊研究家の新倉イワオさんが現われ「あなたの知らないレイ度の世界」とつぶやいた。実はこの新倉氏、番組のブレーンとしても活躍していたのだ。

●その五四、小遊三が笑点に溶け込んだのは卓球のおかげ

 83年からレギュラーとなった小遊三、メンバーのなかでは後発の彼がレギュラー陣に溶け込めたのは、卓球のおかげ。学生時代から卓球一筋の小遊三がこん平に「らくご卓球クラブ」に誘われたのがきっかけとなった。

●その五五、川中島の卓球対決を制したのは?

「らくご卓球クラブ」の幹部であるこん平と小遊三が座布団10枚のごほうびを賭けて卓球で激突したのは95年4月18日。直接対決を制したのは小遊三だが、最終的には「影武者作戦」という秘策でこん平がごほうびを手中に。

●その五六、幻の鞍馬天狗ドラマ化計画

 嵐寛寿郎さんが健在なころ、座布団10枚の企画として、弱い鞍馬天狗を木久蔵が演じ、本物をアラカン、三波伸介の近藤勇、円楽の土方歳三でドラマを作ろうという話が持ち上がったが、ギャラなどの問題で幻に終わったという。

●その五七、『笑点』公開録画の空白域とは?

 笑点の公開録画は日本テレビ系列のネット局のある県で行われている。放映されていない佐賀、宮崎、日本テレビエリアの千葉、茨城、読売テレビエリアの和歌山、奈良、滋賀、日本海テレビエリアの島根で公録は行われていない。

●その五八、公開録画の前日には必ずパーティーがある 

 笑点メンバーは、公開録画の前日に現地入りしその土地の放送局が主催するパーティーに参加する。ここで放送局の偉いさんや担当者との親交を深め、公開録画に使えるその土地土地のネタを仕入れているというわけだ。

●その五九、先代円楽は超せっかち男!?

 先代の円楽は集合時間の一時間半前に楽屋入りしているというほど気が早い人物だった。朝も早起きで地方の公開録画のときなどスタッフは前日、どんなに遅くなっても円楽に合わせて早起きし、朝食をともにしなければならず大変だったという。

●その六〇、こん平あいさつの定番「ちゃら~ん」とは?

「1、2、3、ちゃら~ん、こん平で~す」というあいさつをよくやっていたが、この「ちゃら~ん」とは何か。実は、越後民謡『佐渡おけさ』の前奏部分を口三味線でやったもの、というのが正解。

●その六一、公開録画観覧募集の倍率は?

 後楽園ホールでの公開録画には、毎回20倍以上の応募が殺到するという。地方公録は一か所で5年か10年に一回しか開催されないため、さらに応募が殺到。相当大きな会場を借りても、定員の30倍を超える応募があるという。

●その六二、いい席に座るためには?

 後楽園ホールでは、全席自由席となっているので、早めに並べば確実にいい席を確保できる。地方の場合は入場整理券などを発行することが多いので、一概に「早く来れば好きな席に座れる」ということではないらしい。

●その六三、公録の舞台セットは現地で用意するのか?

 カメラや音声機材は地方局で用意するが、舞台セット、座布団、提灯、司会者用の講釈台などほとんどのセットは東京から運んでいく。東北、中部、中国地方だと収録日の前々日、それ以外だと前日荷運び出すことになるという。

●その六四、寄席『若竹』借金の真相!

 若竹とは、故円楽が若手育成のために資財を投じて江東区につくった新しい寄席。このために円楽が借金を背負ったというのがしばしばネタになっていた。88年閉館。円楽は当時「閉館は経済的な問題とは関係ない」と力説していた。

●その六五、高校野球で気もそぞろの客を引きつける秘策

 地方公録でなぜか、客のノリがイマイチ。同時間に地元の高校野球チームが決勝戦で戦っていたのだという。そこで、メンバーが考えたのが、試合経過をその都度出演者が客席に伝えるというもの。これで客は落ち着いたという。

●その六六、最高視聴率の裏に歌丸の奮闘があった!

 40.5%を記録した伊勢原市の公録の背後には壮絶なドラマがあった。その数日前に脱腸の手術をした歌丸、前日から体調が最悪の状態に。看護婦さん同行でギリギリに楽屋入りし、何事もなく収録を終えて、直後にバタンキュー。

●その六七、最初は下手だった円楽の司会

『笑点』の前身、『金曜夜席』で当初大喜利の司会をしていた5代目円楽だが、たった4週ほどでおろされてしまった。「当時は、円楽さんの司会はまるでセコだった」(『歌丸ばなし』より)のが原因。名司会者となるには、まだ若かった!

●その六八、たった2カ所の「例外」

『笑点』の公録は、基本的に後楽園ホールおよび地方のホールなどで行われる。寄席の定席を貸し切って行なわれたのは円楽がつくった『若竹』と玉置宏が司会をつとめる『横浜にぎわい座』のたった2か所しかない。

●その六九、絶世の美女・歌丸夫人「富士子さん」とは

「クレオパトラや楊貴妃に匹敵する美女」と歌丸が公言している富士子夫人。長い間その姿は秘密のベールに包まれていた。しかし横浜にぎわい座での公録で、カメラが夫人をとらえてしまった。しかし歌丸の強い意向で公表されなかった。

 まだまだある笑点のトリビア。残りも近日公開!

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