大谷翔平、イチロー、ON…日本人が「本当に好きなプロ野球選手」

 その一打、その一投に魂は震え、時代がどよめく。戦後ニッポンとともに歩んだ、球史に名前を刻む名手たちのことを今こそ語ろう!

 海を渡った二刀流、エンゼルスの大谷翔平選手が、メジャーの歴史を塗り変えようとしている。「大谷の活躍が連日話題になり、久々に野球が“みんなのスポーツ”になった気がします。誰もが熱狂する選手が、最近は少ないですからね」(スポーツ紙記者)

 それを受け、今回、本誌はこれまで綺羅星のごとく現れてきたプロ野球スターから「日本人が本当に好きな選手」をリストアップ。「あの選手が入ってないぞ!」というお叱りは覚悟のうえで、ファンの声とともに魅力を分析してみよう。

■打者ではまず、王貞治と長嶋茂雄!

 まずは打者編だが、何はなくとも「ON」だろう。筆頭は、やはり王貞治。トレードマークの一本足打法で打ちまくり、世界記録の通算868本塁打もさることながら、打点2170、2390四球(427敬遠)など数々の日本記録を樹立。プロ野球を“巨人、大鵬、卵焼き”と言われるほどの国民的娯楽に成長させた功績は計り知れない。「巨人を去った後、当時、弱小球団だったダイエーホークスの監督に就任。現在のソフトバンク隆盛の基礎を築き、第1回WBCの優勝も果たした名指導者でもあります」(前同)

 そんな王と並ぶのが、“ミスタープロ野球”長嶋茂雄。「1959年6月25日、後楽園球場での天覧試合で村山実から打ったサヨナラ本塁打みたいに、ここぞという試合で、今の大谷のような“嘘だろ!?”というプレーが飛び出して、野球の楽しさを教えてもらったよ」(長嶋ファン歴50年の男性)

 実力に加えて茶目っ気もあり、スター性にあふれていた長嶋。そんな彼に対し、並々ならぬ対抗心を燃やしたのが当時、南海ホークスに所属していた野村克也だ。「長嶋がひまわりなら、ワシはひっそりと咲く月見草」という自虐的な名言は有名だが、その実績は「ひっそり」ではなく、ド派手そのものだ。8年連続本塁打王、6年連続打点王は今も燦然と輝くパ・リーグ記録。65年には戦後初の三冠王にも輝いた。通算26年に及ぶ現役生活で積み上げた1万1970打席、1万472打数は、いずれも日本記録だ。「捕手としても、バッターの背後で“銀座でよう遊んどるらしいな”などとささやきかけて動揺を誘う“ささやき戦術”を筆頭に、個性的な戦い方の人でした。沙知代夫人を亡くされてご心痛でしょうが、今でも“ボヤキ”が健在でうれしいです」(スポーツ紙デスク)

 そんな野村に並ぶ三冠王といえば落合博満。82年、ロッテ在籍時の28歳で史上最年少三冠王に輝いたかと思えば、85、86年にも三冠王に輝いた。日本初の1億円プレーヤーでもある。「ロッテから中日、巨人に行っても、どこか野武士然とした野性的な魅力があってね。あれは、今の選手にはなかなかいないタイプだ」(名古屋の地元紙記者)

■阪神タイガースの主砲、田淵幸一はアーチスト

 次に75年、王貞治の14年連続本塁打王を阻止する43本塁打を放ってタイトルに輝いたのが、名門・阪神の主砲だった田淵幸一。「滞空時間が長くて、美しい放物線を描くホームランは芸術品やった。田淵こそ“アーチスト”やで!」(虎キチ歴40年の阪神ファン)

 田淵が全盛期を過ぎる頃、入れ替わるように阪神の主砲となったのが掛布雅之だ。「小さな体をフルに使って、よう打ったよな。パワーより技ありで打った349発。たいしたもんやで」(前同)

 当時を知る阪神ファンの脳裏に焼きついて離れないのが、掛布在籍時の85年、吉田義男監督時代のリーグ優勝と日本シリーズ制覇。その立役者が掛布であり、そして忘れてはいけないのがランディ・バースだ。「やっぱり、あの年の岡田、掛布とのバックスクリーン3連発は忘れられへん。あの日から“神様、バース様”や。今でも助っ人外国人が活躍したら“バースの再来”ちゅうのが、関西の新聞の決まり文句やしな」(同)

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