■日本記録を打ち立てたスタープレイヤー

 王、長嶋の全盛期だった69年に阪急ブレーブスでデビューし、掛布と同じ88年に引退したパ・リーグのスタープレーヤーが福本豊。「打てば自動的に二塁打になる」と言われ、通算1065盗塁の日本記録を持つ走塁の神様だ。「俊足だけでなく通算2543安打、208本塁打と打撃力をも兼ね備え、70~80年代の阪急黄金時代を支えた立役者。939盗塁で当時の世界記録を更新し、国民栄誉賞を打診されて“立ちションもできんようになる”と断ったのも語り草です」(専門誌記者)

 試合に出続けることで、ファンを喜ばせた選手もいる。衣笠祥雄と金本知憲だ。「2215連続試合出場の日本記録で鉄人と呼ばれた衣笠は、死球による記録ストップの危機を乗り越えて記録を達成。その精神力には脱帽です」(広島ファン)

 現在は、阪神監督を務める金本にも同じような話がある。現役時代、連続試合フルイニング出場の日本記録目前に左手首に死球を受け、指を骨折。欠場の危機に直面しながら強行出場して、左手をかばいながら2安打を放った。その後も出場を続け、最終的に1492試合連続フルイニング出場の記録を打ち立てたのだ。「骨折しながらヒットを打つなんて。広島から来た“外様”だと思っていたけど、あれで心底、金本が好きになりましたよ」(阪神ファン)

■清原和博は古いタイプの野球選手の匂いがプンプン

 今の野球は分業化が進んでスマートになり、無茶をする選手や、問題はあってもキャラクターで愛されるタイプの選手は皆無。それを寂しく感じる年配ファンは、ことのほか多い。そうした古いタイプの野球選手の匂いがプンプンするのが、やはり清原和博だ。「85年のドラフトで、土壇場での桑田真澄指名という形で巨人に裏切られたところから、彼のドラマが始まりました」(専門誌記者)

 西武に入団した清原は、86年の開幕2戦目に公式戦初出場を果たすと、最終的には4番打者に上り詰め、打率.304、本塁打31本でリーグ優勝に貢献。「憧れ、そして憎んだ巨人との日本シリーズ第6戦。ここを守り切れば優勝という9回表、一塁の守備についていた清原は突如、号泣。秋山幸二や東尾修らも、もらい泣きしていました。そういう、強がりの裏に見え隠れする純な心が彼の魅力。“番長”と呼ばれ、スキャンダルにまみれても、不器用な野球小僧。やっぱり、憎めない男です」(前同)

 そんな清原とともに80年代を盛り上げたのが、ウォーレン・クロマティ。7年間で通算.321、本塁打171本を放ち、史上最強の助っ人と呼ばれた。「風船ガムを膨らませて打席に入り、頭に死球を受けた翌日に代打満塁ホームランをかっ飛ばしてハデなバンザイ。当時の子どもたちにとって、バースとともに豪快な“アメリカ”そのものだった」(巨人軍関係者)

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