退位まで1年、天皇陛下「激動の30年」の画像
退位まで1年、天皇陛下「激動の30年」の画像

 誰よりもこの国を想って走り続けた30年。その軌跡を振り返ると真摯な姿勢と強い信念が浮き彫りになった。

 国民と苦楽をともに――。1989年1月に即位してから、常にそのことを意識してきた天皇陛下。来年4月30日の退位まで、残すところ1年となったが、在位期間は、平和への“祈り”を捧げた30年でもあった。「天皇陛下にとって、太平洋戦争が終わったのは学習院初等科に通われていたときでした。疎開先の日光からお戻りになった陛下は、焼野原の中にトタンの家が建つ東京の変わりように衝撃を受けられたようです。この出来事が、これまでの30年間のご公務に決定的な影響を与えたのではないでしょうか」(皇室担当記者)

 戦争で荒廃した国土――80歳の誕生日会見でも、陛下は「最も印象に残っていること」として使った言葉である。「天皇陛下は、日本史上初めて象徴天皇として即位されています。陛下は国民と苦楽をともにし、平和への祈りを捧げることこそが象徴天皇の役割だと、お考えになったのでしょう」(歴史研究家の跡部蛮氏)

■沖縄を公式訪問した陛下の強い想い

 では、陛下の平和への祈りは、どのようなものだったのか。激動の30年を振り返ってみよう。天皇陛下が即位したのは1989年1月のこと。昭和天皇の崩御を受けてのことだった。それから4年後の93年、歴代天皇として初めて沖縄を公式訪問しているが、これは陛下の強い想いがあって実現したという。「国内唯一の地上戦の舞台として20万もの人が犠牲になったことから、当時の沖縄は皇室にとって複雑な場所でしたから……」(前出の皇室担当記者)

 それを物語るのが、陛下が皇太子時代の75年7月の出来事である。このときにはまだ、皇室への厳しい感情が県民の中に渦巻いていて、なんと、火炎瓶を投げつけられたのだ。それと、もう一つ、陛下が薩摩藩主・島津家の系譜を受け継いでいることもある。前出の跡部氏が続ける。「陛下のご生母・香淳皇后の母上が最後の薩摩藩主・島津忠義(茂久)の娘という関係です。薩摩藩は江戸時代の初め、琉球王国(沖縄県)へ侵攻し、それまで琉球のものだった奄美諸島などを藩の蔵入地としています。島津と沖縄の間には、そういう負の歴史が刻まれているんです」

 陛下も「島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした」と記者会見で本心を語ったことがあった。しかし、即位後の初訪問の際に陛下は、太平洋戦争で亡くなった遺族会の代表に6分間もメモを見ずに語りかけ、哀悼の意を表した。「遺族会の方々はハンカチで涙を拭い、感激していました。陛下はその後も沖縄をご訪問し続け、今では“平和の象徴”として県民から強い尊敬を集めています」(皇室担当記者)

 この3月には、11回目となる沖縄訪問を実現。「これが退位前最後の沖縄ご訪問になるのが分かっていましたから、沖縄を発つ際、天皇、皇后両陛下は空港に集まった人たちへ、何度も何度も振り返って手を振っていらっしゃいました」(前同)

 94年には、旧日本軍が玉砕した激戦地・硫黄島を天皇として初めて訪問。戦後50年の節目の年となる95年には、沖縄の他、原爆が投下された広島と長崎、そして、東京大空襲で多くの死者を出した墨田区を慰霊して回った。さらに、戦後60年にあたる05年にはサイパンを訪れ、日本兵や民間人が身を投じたバンザイ・クリフへ足を運び、両陛下そろって深く黙礼している。その後も、陛下の戦没者慰霊の旅は続いた。「戦後70年目の2015年にはパラオを訪ねました。そのとき、予定になかったんですが、陛下は海に向かって一礼されました。それだけ慰霊のお気持ちが強かったんでしょう」(同)

  1. 1
  2. 2
  3. 3