■ラジオでの発言から映画監督へ

ゆま「なるほど~。そもそも、品川さんが映像を撮り始めたキッカケは何だったんですか?」

品川「27、28歳のときにやっていた、あるラジオ番組に、いろんな映画を観て、その感想を語るコーナーがあったんだよね。あれは確か『トラフィック』という映画だったかな。“この映画はシーンによって、なにげに色を変えているよね”みたいなことを話したんだよね」

ゆま「色を変える?」

品川「うん。カラコレというんだけど、たとえば、たけしさんの映画は“銀残し”というカラコレを使って、“北野ブルー”の色彩を出している。韓国映画なんかはブルーやセピアのカラコレをよく使うんだけど、『トラフィック』はカラコレをシーンによって、うまく変えていたんだよ」

ゆま「へえ~」

品川「ラジオでそういう話をしたら、たまたま映画配給会社の人がそれを聞いていて、“まさに監督が一番こだわっていたのが、カラコレなんです。だけど誰も言ってくれなかったんです”って喜んでくれたんだよね。で、そこからショートムービーを撮ってみませんか、と誘われたんだよね」

ゆま「じゃあ、品川さんの発言から映画監督の話が飛び込んできたんですね」

品川「モデル、役者、DJ、そして芸人の4人の異業種監督がショートムービーを撮って、1本の映画にするという内容だった。そしたら試写会で、すごく褒めてもらったんだよね。その快感が忘れられなくて、やめられなくなった(笑)」

ゆま「アハハ。でも、すごい。だって、それまでは映画を撮るなんて、まったく考えていなかったわけですよね」

品川「いや、映画を撮ってみたいという気持ちは、お笑いを始めた頃から密かにあったんだよね。庄司とコンビを組んだときに、僕は二つの夢があったんです。一つは自分の番組を持ちたい。そして、もう一つが映画監督になりたい。まあ、たけしさんの影響ですよ」

ゆま「夢がかなったんだ」

品川「自分の番組を持つ夢はまだかなっていないけどね。ちなみに庄司は、コンビを組んだとき、自分の番組を持ちたい、そしてアイドルと結婚したいと言っていたんだよ。どっちも片方の夢はかなったんだよな」

ゆま「その頃からアイドルを狙っていたんですね(笑)。庄司さんの話が出たので、聞きたいことが……」

品川「なんでしょ?」

ゆま「仲が悪いって本当ですか?」

品川「庄司のこと? ああ、大嫌いだね」(次回に続く)

品川祐(しながわ・ひろし)1972年4月26日、東京都出身。1995年に庄司智春とお笑いコンビ「品川庄司」を結成。バラエティ番組を中心に多忙を極める中の2003年、短編映画『two shot』にて、監督・脚本を務める。以後、『ドロップ』、『漫才ギャング』など映画監督としても活躍している。

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