養老孟司
養老孟司

 今年でもう81歳になりますが、この歳になると気がつくんですよ。自分の一生を左右していたのが、若い時代の経験だってことに。若い頃はなかなか気がつかないです。

 僕にとってのそれは、学生紛争やオウム真理教の事件だとか色々とありましたが、一番は、4つか、5つの誕生日の前に父親を亡くしたことだと思います。

 家庭の中で、父親は世間の代表ですからね。子どもに世間のルールを教えていく役割を担っている。それが急にいなくなってしまったから、母親が代わりに世間を教えていかなければならない。

 当時は、いまのように女性が社会進出していないから、母親は世間になれなかった。母親自身が苦労していましたよ。片親に対する周囲からの目も、今の時代とは比べものにならないくらい、冷たいものでした。

 父親から、世間を教わらなかったことで起こった世間とのズレみたいなものが、あるんでしょうね。それが、ずーっと続いているんですよ。

 小学生の時に、世間を一番体現しているのは、先生。先生と僕の常識が合わない。授業中に、“教科書のここを読め”と言われるじゃないですか。それに、“嫌です”と言ったことがある。子どもだから、素直に言っただけ。

 世間では、そういうときに素直に言っちゃいけないんですよ。子どもなりに先生の常識のほうが正しいっていうのはわかるから、変なのは、自分なんだなと思いました。先生も困っていましたね。そのズレは、大人になっていくとともに解消されていくのが、普通なんだけど、僕はズレたまんまで生きているから、大変ですよ(笑)。

 東大で教授やっていたときなんて、もう苦労ばっかり。“大学教授は3日やったら、やめられない”なんて揶揄される仕事でも、合わねえなって思っていましたから。

 働いているうちに、苦労しないためには自分を曲げればいいんだってことがわかってくる。僕は、それができなかったんですよ。自分の考えで生きるってこと。根本的な考え方があって、それを変えろっていうのは無理だから。

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