■朝青龍関がインターネットテレビの企画で相撲を

――話は変わりますが、昨年末、元弟子だった朝青龍関が、インターネットテレビの企画で相撲を取っていましたね(笑)。

高 みたいだね。思い返せば、アイツは勝手に強くなった力士だったなぁ(笑)。若い頃は、私が「もう、やめろ!」というまで稽古をしていたし、運動神経と集中力が抜群だった。稽古は本場所で勝つためのもので、稽古場はあくまで本場所の仮想なんだけど、そこをしっかりすることが大事。稽古をやらないと、本場所で勝てないわけですよ。最近は相撲人気の高まりもあって、地方巡業も長くなってきているけれど、巡業の土俵で一生懸命、稽古する力士が伸びていくんです。でも、実際はあまりいないんだなぁ、そういうヤツが……。「今やらなきゃ、いつやるんだよ?」って言いたいよ。何度も言うけど、稽古しない力士は勝てないし、相撲は甘い世界じゃないから。

■夏場所の優勝争いは?

――今場所の優勝争いは、どうなりそうですか?

高 稽古をしている、研究している、自信をつけているという意味で、優勝争いの一番手は鶴竜だね。二番手は、優勝経験豊富な白鵬。対抗馬となりそうなのが、栃ノ心。逸ノ城あたりも台風の目になる可能性があるんじゃないかな?

 満員御礼の中でスタートした夏場所。はたして、賜杯は誰の手に!?

■高砂親方が「忘れられない」一番

 私が入門した昭和53年は、横綱・北の湖関と輪島関が君臨していた「輪湖時代」です。近畿大学相撲部から幕下付け出しでデビューして、注目される中、必死の覚悟で稽古したものですよ。そんな中、私が思い描いていたことは、「北の湖関、輪島関と対戦できる地位に早く上がりたい」ということでした。

 おかげさまで、5場所で新入幕を果たして、3場所目(54年春場所)に北の湖関と初対戦。このときは北の湖関に先手を取られ、寄り切られて完敗。2度目の対戦はちょうど1年後のことでした。私は立ち合いから勢いよく突っ張っていって、一瞬の引き落とし。あの北の湖関から金星を挙げることができたんです。相撲人生の中で、最も印象に残る一番になりました。

 それから北の湖関とは何度も対戦させていただきましたが、対戦成績は私の13勝7敗。“北の湖キラー”なんて呼ばれて、よく「なんで、朝潮は北の湖に強いのか?」と聞かれたりもしました。でも、作戦なんてものはなかった(笑)。私の相撲は、どの力士に対しても立ち合いから当たって、前に出るというもの。つまり、北の湖関とは、たまたま「合口がよかった」ということだったんでしょうね。

高砂浦五郎(たかさご うらごろう)

元大関・朝潮。1955年12月9日、高知県出身。近畿大3年から2年連続で学生横綱とアマチュア横綱の2つのタイトルを獲得し、78年3月、本名の「長岡」で高砂部屋から初土俵。その後、7月新十両、11月新入幕。79年3月「朝汐太郎」と改名し、82年11月「朝潮」に改名。83年3月大関昇進。大関を36場所務め上げた。得意は突き、押し、左四つ。優勝1回。殊勲賞10回。敢闘賞3回。技能賞1回。89年3月に引退後、02年に七代高砂を襲名し、横綱・朝青龍などを育てた。現在、幕内に朝乃山、十両に朝弁慶らがいる。

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