■全国大会で優勝!
――とはいえ、格闘シーンでは、プライベートでの空手経験が生きていると思います。空手を始めたきっかけって?
宮原 私、一人っ子だったので兄弟ゲンカもしたことがないうえ、泣き虫だったんです。そんな私を見た母が将来、不審者に出会ったときのことを心配して空手をやらせたいと思ったそうです。それで、小学2年生のときに知り合いのおじさんが空手道場を開いたので、見学で行ったときに遊び心でちょっと練習をやったのが始まりでしたね。
――それから全国大会で優勝するまでに。
宮原 空手って練習したぶんだけ、その結果が出るスポーツだと思うんです。すぐに出なくても、めげずにコツコツやれば、いつかは……って常に思っています。
――メンタルの部分でも強くなれたんですね。空手をやめようと思ったことは?
宮原 それはないですね。ただ、練習に行きたくないって思ったことはありましたけど。
――やっぱりきつくて?
宮原 先生より父が怖くて。練習を見に来た父に「声が小さいんだよっ!」「やる気ないんだったら帰れっ!」って怒鳴られて(笑)。
――おー、コワ……それにしても、体を動かすのが本当に好きなんですね。
宮原 今はモデルや女優のお仕事をさせてもらっていますが、もしやっていなかったら、スポーツジムのトレーナーかインストラクターのお仕事に就いているんじゃないかって思うくらいなんです。
■小学生のときにモデルとして活動
――そんなバリバリの体育会系女子の華音ちゃんですが、すでに小学生のときにモデルとして活動していましたよね。
宮原 女子小学生のファッション雑誌『ニコ☆プチ』(新潮社)の読者モデルをやっていました。
――なんで、モデルになろうと思ったんですか。
宮原 当時、年上のちっちゃい男の子に“デカノン”ってあだ名で呼ばれていたんですね。彼は私よりもスポーツができたので、彼に勝てることは何かないかなって思っていたときに、知りあいのおばさんに「身長が高いんだからモデルになりなさいよ」って言われて。
――ほほう。
宮原 調子にのって、いろいろなオーディションを受けたんですけどダメで。でも、たまにいい順位にまで行くんですよ。そうすると、諦めきれなくて(笑)。そんなときに母が「これ受けてダメだったら諦めなさい」って言われて応募したのが「三愛」でした。
――当時、史上最年少となる15歳(中学3年生)で、2012年度(11代目)の「三愛水着イメージガール」(名称は当時)に選ばれて一躍、世間の注目を浴びました。人前で水着姿になるのは恥ずかしくなかった?
宮原 まったくなかったですね。空手をやっていて変な度胸があったというか。男の子が多い環境で育ってきた……ということも。