大鶴義丹
大鶴義丹

 最近、居酒屋に小さい子どもを連れていくような親が、“どうしようもねえな”って言われているじゃないですか。“確かにな”って思っていたんですが、よく考えたら、うちの両親もそうだったんですよ。

 父・唐十郎と、母・李麗仙に3、4歳の頃、しょっちゅうゴールデン街に連れていかれていたんです。両親が酒を飲んでいる店の隅に毛布を敷いて、そこで寝ていた。

 夜中2時くらいになると、ガタガタと大きな物音が聞こえて、目を覚ますと、毎度、ケンカですよ。家で寝ていても、自宅が稽古場でしたから、やっぱり、劇団員たちの酒盛りが始まって、しばらくするとケンカでしたね。

 公演期間になれば、両親が劇場に行ってしまうので、僕は楽屋で寝る。その楽屋がまた、砂利の上にテントをたてているから、雨が降ると染みてくるんです。熱を出したときがあって、劇団員の人が、代わる代わる、おでこに当てたタオルを替えてくれたことを妙に覚えていますね。

 でも、今になってそういう状況がありがたかったなって思いますよ。二世俳優の仲間がいるんですが、どんな大スターの子どもだろうが、みんな親父や母親が、現場で何をやっているかって知らないんです。親がハイヤーに乗って仕事に行くって姿しか見ていない。

 僕の場合は、どういう稽古をして、どういうふうに言い争いが始まって、舞台が出来ていくのかっていうのを、全部見ていた。何より演劇を作り上げていく熱気を間近で感じられたことは大きな財産だなと思いますね。

 ただ、男って父親に対して、どこか対抗心があるじゃないですか。父とは、ずっと仲がいいんですけど、どこかで“飲みこまれてたまるか”って思いが、あったんですよ。それで、演劇ではなく、映像の世界に飛び込んだんです。

 高校1年生のときに初めてテレビドラマに出て、天狗になったんでしょうね。学校の先生たちに目をつけられて、3か月くらいで、高校は辞めちゃって、それからは、同じように高校を辞めた連中と、ろくでもないことしていました。

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