「トモアキって誰?」 ロシアW杯に臨む日本代表MF本田圭佑が同DF槙野智章の下の名前を知らなかったことが明らかになり、メディアをにぎわせた。同僚の長友佑都によると、「(槙野は)ショックを受け、ヘコんでいた」という。

 だが、そんなことで驚いていてはいけない。今から26年前のことだ。サンフレッチェ広島に所属する森保一(現サッカー男子東京五輪日本代表監督兼A代表コーチ)が初めて代表入りした時のことだ。ほとんどの選手が彼の名前を知らず「モリ・ヤスカズ?」「いや、違うよ。モリ・ホイチだよ」「モリホ・ハジメらしいぞ」などという会話が飛び交った。もちろん彼は「モリヤス・ハジメ」である。ある主力選手は、「ところでキミ、ポジションはどこ?」と真顔で聞いてきた。失礼にも程があるというものだ。

 それ以上に森保がショックを受けたのは92年11月に開催されたアジアカップに出場した時のことだ。何とスタンドから「モリホ!」という声が飛んでしまったのだ。地元の広島であるにもかかわらず。

 しかし、名前忘れの名人と言えば、この人の右に出る者はいない。ミスターこと長嶋茂雄だ。1996年から99年にかけて、長嶋巨人に河野博文という中継ぎがいた。日本ハムから移籍してきた左腕だ。この河野を、なぜかミスターは「ゲンちゃん」と呼んでいた。「北京原人に似ている」というのが、その理由だった。どうも名付け親は日本ハム時代の先輩だったらしい。ある時、ミスターは「ピッチャー、ゲンちゃん」と審判に投手交代を告げた。「河野ですか?」と審判が確認すると、ミスターは「そう、ゲンちゃん」と答えたという。

 その頃、ブルペンには川口和久、阿波野秀幸という2人の左腕がいた。ともに移籍組だ。ある時、ベンチのミスターが「アワグチ行くぞ」と告げた。投手コーチが「どちらですか?」と確認すると川口だったという。ウソのような本当の話である。

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