最後の被災地訪問へ 天皇陛下「福島への想い」の画像
最後の被災地訪問へ 天皇陛下「福島への想い」の画像

 お二人のお姿とお言葉に救われた多くの人々がいる。前へ進むための祈りに国と民を思う心が込められていた――。

「天皇、皇后両陛下は、毎年のように東日本大震災の被災地を訪れています。それは、その地の人々がまだ苦しみの中にあり、復興は道半ばだ、ということを忘れさせないためだ、と思います」と語るのは『天皇陛下を見るとなぜ涙が出るのか』などの著作がある作家・歴史学者の河合敦氏だ。

 6月9日から11日までの2泊3日で、東日本大震災の被災地を訪問した天皇、皇后両陛下。「今回は全国植樹祭の出席や、原発事故で避難された方々との懇談、さらに、津波で壊滅的被害を受け、いまだに風評被害がある福島県相馬市の水産施設なども見学されました」(全国紙社会部記者)

 両陛下が東北の被災地を訪れるのは、今回が14回目。これほど慰問を重ねていることからも、両陛下の“福島への想い”の強さが分かる。天皇陛下は来年4月に生前退位されるため、被災地への訪問は今年で最後になる可能性が高い。

 震災から7年――日数にして2649日の間、両陛下は被災地のことを忘れることはなかった。大地震が発生したのは、2011年の3月11日。甚大な被害に日本中が恐怖と不安におびえる中、発災5日後の16日、天皇陛下は国民に向け、直接ビデオメッセージを送った。「陛下が放送を通じて国民に直接語りかけるのは、終戦時の玉音放送以来のことでした。あの放送で多くの人が勇気づけられ、陛下の言葉の通り、“被災者とともに、それぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていく”ことを誓ったのではないでしょうか」(皇室記者)

 同年の3月30日、両陛下は福島県から東京に避難した人々が身を寄せる東京武道館(足立区)を訪れた。「当時、東京都知事だった石原慎太郎氏が、翌年に心臓手術を控えた陛下の健康状態を案じ、被災地訪問は皇太子、秋篠宮両殿下に、名代として行ってもらってはどうでしょうか、と進言したんです。陛下は、それを黙って聞かれていたんですが……」(前同)

 被災者の見舞いを終え、武道館を出る際、陛下は石原氏に歩み寄って、「石原さん。東北は、私が自分で行きます」と告げた。「陛下のこの言葉に、石原氏は絶句したそうです。その後、実際に東北3県を訪問された陛下に対し、石原氏は“皆、感動した。行っていただいてよかった”と、感謝の意を述べています」(前出の皇室記者)

 その初めての被災地訪問となった11年の5月6日、両陛下は被災者の避難先である、釜石市立中学校に向かうマイクロバスの中にいた。バスの車内で天皇陛下は右側の席、皇后陛下は左側の席にお座りになっていたが、出迎えの人々が沿道の左側にいるのを目にするや、陛下は自分の姿がよく見えるよう立ち上がり、背もたれなどにつかまりながら、手を振り始めた。揺れる車内で立つ陛下の身を案じての「お座りになられたほうが……」という声に対しては、「皆が出迎えてくれているので手を振らなければなりません。だから、座らなくていいのですよ」と、お答えになった。陛下はそのまま、中学校に着くまでの20~30分の間、揺れるバスの中で立ち続けたという。

 震災翌年の2012年には、原発事故で放射能汚染が懸念された福島県の川内村を両陛下が訪問。「現場では、除染する作業員たちがマスクと防護服を装備していましたが、天皇陛下は“付近の放射能レベルに問題はない”と、防護服は着ず、ジャンパー姿で視察されました」(前出の社会部記者)

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