■陸上のスプリンターがプロ野球選手に

 最も有名なのが、陸上競技のスプリンターを、盗塁のスペシャリストとして使おうというアイデア。当時、ロッテの永田雅一オーナーの肝いりで白羽の矢が立ったのが、当時100メートルの日本記録を持っていた飯島秀雄だ。69年に、「日本初の代走専門選手」として、プロ野球界入りを果たした。「走塁コーチとして入団するはずが、いつの間にか選手登録になっていた」という逸話が、「永田マジック」の強引さを物語っている。今で言えば、桐生祥秀や、ケンブリッジ飛鳥が入団するような話と聞けば、激レアさがよく分かるだろう。

 飯島がプロの3年間で残した記録は、通算で117回代走起用され、盗塁成功23(二盗17、三盗5、本盗2)、盗塁死17、牽制死5。盗塁成功率としては、期待したほど高くはなかった。前出の伊勢氏は、当時を振り返って証言する。「ワシがファーストを守っているときに代走で出たけど、2~3歩しかリードできなかった。あれじゃ、セーフにならんわ。リードしないでクラウチングスタートにして、コーチャーのゴーという声でスタートしたほうが速く走れたかもしれんし、ファンも盛り上がったかもしれんな」 その後、飯島は故郷に帰り、運動具店を始め、陸上競技のスターターなどを務めた。

 元陸上選手は他にも。高校生のときに、やり投げで南関東大会優勝、国体6位入賞という異色の経歴を引っさげて西武ライオンズに練習生として入団し、その後ドラフト8位で同球団にプロ入りしたのが日月鉄二。ただ、この選手は単純に「陸上競技から野球」に転向したというわけではなく、もともと野球選手であり、高校生のときに陸上に転向し、再び野球に戻ってきたというもの。ただ、現役のやり投げ選手の村上幸史は、140キロ超えの速球を投げられるので、意外と親和性はあるのかもしれない。

 プロではないが、今年のセンバツで投手兼野手として活躍し、今年のドラフトの超目玉である根尾昴(大阪桐蔭)は、中学時代に全国中学スキー大会アルペン回転で優勝という実績を持っている。身体能力は、すでに怪物級だ。他にも、正式な経歴ではないが、落合博満は浪人時代に、ボウリング場でのアルバイトをきっかけに、一時プロボウラーを志すようになったという有名な話もある。

 前出の江本氏によれば、「そんなこと言い出したら、私なんか、大学時代はフィリピンバンドのプロダクションで運転手やったり、京王デパートのうどん屋でウエイターのアルバイトをやってましたよ」ということなので、プロ野球界には、いろいろな選手が集まっているのだ。

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