木村拓哉も若き日を熱演!「織田信長」雑学クイズの画像
木村拓哉も若き日を熱演!「織田信長」雑学クイズの画像

「本能寺の変」があったのは、今から436年前の6月21日(旧暦の6月2日)のことです。そこで今回は、今月命日を迎えた織田信長を取り上げます。(文中敬称略 出題/小泉珍事郎)

【Q1】織田信長は何歳で死んだ?

 歴史上の重要人物であるばかりか、魅力的なキャラクターであることから、信長は映画やテレビドラマに登場することが頻繁にあります。快活な青年期が描かれることもあれば、劇的な晩年が取り上げられることもあるため、信長を演じる俳優は、演じた時点での年齢幅が実に広いという現象があります。

 NHK大河ドラマ『信長KING OF ZIPANGU』(92年)に主演した緒形直人は、番組開始当時はまだ24歳でした。また、木村拓哉は25歳のときTBS系の『織田信長 天下を取ったバカ』(98年)というテレビドラマで若き日の信長を演じています。

 一方、最年長信長と考えられるのが松方弘樹です。戦国時代にタイムスリップした現代の女子高生を描いた『ギャルバサラ -戦国時代は圏外です-』(11年)という映画の中で、なんと69歳にして信長を演じているのです。69歳というのは、信長が本能寺の変を迎えた年齢を大きく上回っています。では、一般的に信長は何歳で他界したとされているでしょう?

  • (1)47歳
  • (2)54歳
  • (3)61歳

【Q2】信長の側近「弥助」とはどんな人物?

 晩年の信長は、「弥助」という人物をかわいがり、側近に置いています。弥助は武家の生まれではありませんでしたが、信長に気に入られ、武士の身分に取り立てられたとされます。また、その名前も信長の命名によるものとか。この抜擢は、当時としては、異例中の異例といえました。 では、「弥助」はどんな人物だったのでしょうか?

  • (1)武芸百般に通じた、屈強な女性
  • (2)アフリカ大陸出身の大柄な外国人
  • (3)体重が70貫(約262キロ)もある元相撲取り 

【Q3】信長の嫡男・信忠はどうなった?

 信長の正室は、斎藤道三の娘。「濃姫」「於濃の方」「帰蝶」「胡蝶」「鷺山殿」といったいろいろな呼称のある女性です。信長にはまた、正室の他に、何人かの側室がいたとされます。子どもの数も多く、実の息子、娘は各10名以上おり、さらに複数の養子を迎えています。ただし、正室との間には子どもがおらず、後継者としたのは、長男である織田信忠です(異説あり)。

 1555(弘治元)年、または1557(弘治3)年に生まれたとされる信忠は、20歳ぐらいの頃、家督を譲られ、織田家当主となっています。それからしばらくして、父親の信長は明智光秀の謀反によりこの世を去ります。しかし、光秀の天下は長く続かず、新たに豊臣秀吉が政権を築きます。では、そうした歴史の流れの中で、信忠はどうなったでしょうか?

  • (1)豊臣秀吉に仕え、「羽柴藤十郎」を名乗った
  • (2)父親の死後は、仏門に入って静かに暮らした
  • (3)本能寺の変の際に、自ら命を絶った
●A答え ■Q1=1【解説】2は光秀、3は秀吉が死んだとされる年齢です(諸説あり) ■Q2=2【解説】弥助は、イエズス会のイタリア人宣教師がインドから連れてきた召使いとされ、東アフリカ(現在のモザンビーク)出身。信長はその黒い肌の男に関心を示し、宣教師から譲り受けたとか。 ■Q3=3【解説】当日、別の場所に滞在していた信忠は、本能寺を光秀らが襲撃したことを知り救援に向かおうとしますが、時すでに遅し。そこで二条城に籠城します。しかし、そこを明智軍に攻め込まれ、自ら死を選びます。羽柴藤十郎となったのは、信長の七男・織田信高です。

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