■郷ひろみをカバーしたり、秋本奈緒美の前座をしたり…

C 翌年、バンド名をBOOWYに改めてから、僕らが知ってるビジュアルになったんですよね、確か。

B その年にデビューアルバム『MORAL』を出して、全国ツアーをやったんだけど、うちは7つ上の従兄が大ファンで。「地元のバンドがせっかく来るんだから、連れてってやる!」と言われたんだけど、その場所が、なんと前橋の河川敷だった(笑)。

A 伝説の「河川敷コンサート」(82年5月3日)だね。盆踊りみたいな櫓を組んで、その上でやったという。

B 全然、お客がいなかった気がするなあ。当時は子どもだったから覚えてないんですけど、今考えると鯉のぼりが立ってるような時期に、昼間の河川敷で「人の不幸は大好きサ」(「MORAL」より)とか歌ってたわけで、けっこうヤバい絵ですよね。

A 彼らも、模索の時期だったんだろうね。僕、その1週間後くらいに渋谷でライブを観たんだけど、まだそんなに曲数もなかったのか、「こういうのもやれます」って言って、郷ひろみの「ハリウッド・スキャンダル」をカバーしてたんだよ。

C ええっ!? マジですか。

B 持ち歌だけだと時間が持たないから、苦肉の策だったんだろうね。今は女優で、昔は歌手だった秋本奈緒美の前座とかにも出てた。

A ジャズシンガーの前座にパンクバンド。めちゃくちゃだけど、当時は秋本さんもBOOWYもビーイング(B’zや織田哲郎、大黒摩季などの事務所)所属だったからね。

C その後、ポップなメロディで恋愛のことを歌ったりして、売れたんですね。

A 初期のハードコアなファンは「ナンパになった」って離れたりもしたけどね。

C でも、最愛の人との別れを歌う「CLOUDY HEART」みたいな沁みる曲は、初期のままなら絶対に作られてないですよね。たぶん、すごく腹をくくって方向転換したんだろうなと思います。その覚悟は超リスペクトですよ。

B その時期に最初は「氷室狂介」だった名前を「京介」にしたりして、世の中に受け入れられる方向に舵を切った感があるよね。でも、一方で、この頃から髪の毛を派手にツンツンにし始めて。今思うと「俺たちはハートの部分は、ずっとパンクなんだ」って言いたかったのかなあ。

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