桂歌丸
桂歌丸

 落語家で落語芸術協会会長の桂歌丸さんが7月2日、慢性閉塞性肺疾患のため、横浜市内の病院で亡くなった。享年81。

 歌丸さんは日本テレビ系の『笑点』に、1966年5月15日の番組開始時から大喜利メンバーとして出演。2007年から五代目・三遊亭円楽さんに代わり、番組司会者を担当。2016年5月22日の生放送で司会を勇退し、番組の終身名誉司会者に就任した。

 司会降板後も番組には登場しており、7月1日の放送でも、番組内の『もう笑点』というミニコーナーに出演。現在の大喜利メンバーを務める林家三平を相手に、軽妙なツッコミを見せていたばかりだった。

 日本屈指の長寿番組の顔として、多くの視聴者に愛されていた歌丸さん。同じ昭和11年生まれで、『笑点』で2代目座布団運びを担当したタレントの毒蝮三太夫さんが2日、亡くなった歌丸さんについて、日刊大衆の取材に答えた。

■毒蝮三太夫さんコメント全文

 いつ知らせがくるか、覚悟はしてたけど、寂しいよ。これで『笑点』の創設メンバーは(林家)こん平ちゃんだけになっちゃった。昭和は遠くになりにけりって感じるよ。よく冗談で、「歌丸さんが急に亡くなられた」って言ってたんだけど、もう言えなくなっちゃったな。

 でも、亡くなる直前まで器具をつけながら高座に上がったりして、落語については思い残すことはないんじゃないかな。本人は体力的に辛かったと思うけど、落語家としてちゃんと生きたと思うよ。

 晩年は(明治の落語中興の祖・三遊亭)円朝の掘り起こしをやってたけど、俺は歌丸さんの新作ネタも大好きだったな。女が化粧するところを見せるネタがあったんだけど、これがシナを作るのがうまくてね。女形がぴったりだったよ。

 最後に会ったのは、歌丸さんが『笑点』の司会を引退する際、スペシャルゲストで俺が出演したときだったから、もう2年前になるのか。あのときは元気だったけどな。

 その後、俺のラジオの番組で歌丸さんの近所に行ったとき、家を訪ねてみたんだけど、「病院に行った」とかで会えなくてね。残念だったよ。

 よく知られているように、歌丸さんは横浜・真金町の女郎屋のせがれでさ。おれも吉原の女郎屋の近くで育ったから、「おたがい、女を食い物にして大きくなりやがったな」って冗談を言ったもんだよ。後で聞いたら、歌丸さんのところは真金町じゃ有名な老舗だったらしいな。金には困らないお坊ちゃんだったんだよ。その反動なのか、酒はあんまり飲まないし、女遊びもしない。曲がったことは嫌いで几帳面で、礼儀正しい真面目な人だった。

 歌丸さんと立川談志と俺は、学年は違うけどみんな昭和11年生まれなんだ(注:談志さんと毒蝮さんが早生まれ)。歌丸さんは、入門は談志より先だったらしいんだけど、一度、落語を辞めて、また戻ってきた経歴があったから、談志を「兄(アニ)さん、兄さん」って呼んでいた。談志が落語協会で歌丸さんが落語芸術協会と、所属する協会は違っていたんだけど、談志は「歌さん、歌さん」って、すごく好いてたよ。

 あの世の談志は「歌さん、来たか」って、喜んでるかもな。あっちには(五代目・三遊亭)円楽もいるし、これで落語の三人会ができる。「早く、こん平も呼べ!」なんて言ってたりして(笑)。

 あの人は「歌丸」って名前をずいぶん大きくしたよね。『笑点』を長寿番組にした立役者でもある。何しろ50年以上も続いているんだもん。日本テレビは社葬ならぬ「テレビ葬」をやってもいいんじゃないか(笑)。

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