長嶋茂雄、野村克也も…プロ野球「感涙秘話」男たちの熱い涙の背景にある“物語”に迫る!の画像
長嶋茂雄、野村克也も…プロ野球「感涙秘話」男たちの熱い涙の背景にある“物語”に迫る!の画像

 真剣に戦っているからこそ、時に感情が爆発する。ユニフォームを脱ぐときに、苦汁を舐め続けながらもグラウンドに舞い戻ったとき、友のために必死になるとき――。男たちの熱い涙の背景にある“物語”に迫る!

 選手たちが涙する場面といえば、引退試合だろう。これまでにも数々の感動の名シーンが生まれている。最後だけは、結果は度外視で、思いっきり投げたり、打つことがほとんど。そんな中で、横浜高校時代に松坂大輔らとともに春夏連覇を経験し、横浜や中日で活躍した小池正晃(横浜→中日→横浜)は、これ以上ない“有終の美”を飾っている。

 2013年10月1日、7番ファーストでスタメン出場すると、4回裏の打席で左中間に2ランホームランを放つ。これだけでも滅多にないことだが、現役最終打席となった8回裏の打席で、再び奇跡が起きる。ピッチャーが投げる前から、目を真っ赤にする小池。もはやバットを振れないくらいの状態で迎えた2球目。真ん中に来たストレートをフルスイングすると、打球はレフトスタンドへ吸い込まれたのだ。

「小池は涙を流しながらベースを一周していたんですが、その姿を見て、ベンチにいた後藤武敏が泣いていたのが印象的でした。小池と後藤は、横浜高校時代のチームメイト。2人が抱き合ったシーンには、ウルッとさせられました」(スポーツ横浜担当記者)

 小池はこのホームランについて、「15年間、最後の最後まで野球を諦めなかった思いが通じたのかもしれませんね」と話している。野球の神様が打たせてくれたのかもしれない――。

 ほとんどの野球選手は悔いを残したまま引退する。そうした思いを引退スピーチにぶつけたのが、吉田豊彦(南海・ダイエー→阪神→近鉄→楽天)。貴重な中継ぎ左腕としてプロ通算20年、619試合に登板した鉄腕だ。コンスタントに40試合以上登板していたが、07年は故障の影響もあり、わずか16試合に留まった。それでも、まだやれる自信はあると吉田は考えていた。

 ところが、球団から「後進の指導にあたってほしい」と、コーチになることを要請される。もちろん吉田は、現役続行を懇願した。「代表には、“給料半減でもいいのでやらせてください”とお願いしました。体の不調もなく、スキルアップする自信もありましたから。ただ、41歳という年齢もありましたし、日頃からお世話になっている方々から“次のことを考えてもいいのでは”と言われ、引退することを決めたんです」(吉田氏)

 9月30日に引退を表明し、引退試合は10月4日。完全には気持ちの整理がつかないまま、9回からリリーフ登板し、現役最後の投球を終えた。そして最後の引退挨拶。吉田の口からあふれ出た言葉は、「まだまだ投げたい!」だった。虚をつかれた球場の観客は一瞬、どよめくが、次第に大きな歓声へと変わる。「あの瞬間に出てきた言葉でしたね。自分の中では納得できない部分もあって、あの言葉になったんだと思います」(吉田氏)

 南海からダイエーへの身売り、近鉄球団の消滅、楽天球団創設を経験するなど、激動のプロ生活を歩んできた吉田。20年間、600試合以上登板してもなお、悔いが残っているのだ。「酸いも甘いも経験してきた私ですが、優勝だけは経験していないんです。優勝したかったですね。今でも、ビールかけをしているのを見ると、羨ましく思いますよ」(前同)

 当時、楽天の監督は野村克也氏だった。吉田は引退するにあたり、野村氏に、あるお願いをしている。「私はずっとヒゲを生やしていたんですが、野村監督はヒゲを禁止にしていたんです。ですが、“引退試合だけはお願いします”とお願いしに行ったら、ギョロッと見られて怖かったですね(笑)。でも、最後は“お疲れさん”と言っていただいて、本当にうれしかったです」(同)

 現在、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスでコーチを務める吉田氏。「まだまだ投げたい」という思いは、若い選手に受け継がれていく。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4