■初代内閣総理大臣・伊藤博文は「ほうき」の異名
しかし、明治の元勲にも、そういう人物はいた。いわずと知れた初代内閣総理大臣・伊藤博文だ。
長州の貧農の子として生まれた伊藤は、父が下級足軽の家に養子に入り、武士として運が開いた。吉田松陰の弟子となって頭角を現し、やがてイギリス留学などを経て維新の志士に。西郷や大久保利通亡き後の明治政府を支え、帝国議会や大日本帝国憲法などの創設に貢献した。
「その偉業を示すのは“初代”の肩書きの多さ。初代兵庫県令(知事)、日本初の政党・立憲政友会の初代総裁、初代内閣総理大臣、初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監……。日本の近代は、伊藤なしには成り立たなかったと言えますね」(専門誌記者)
68歳で暗殺されるまで忙しく国内外を駆け回った伊藤だが、そのエネルギーは“アチラ”のほうでも炸裂。「伊藤は、とにかく好色で有名。イギリス留学中に色街に入り浸って大問題になり、総理大臣でありながら人妻に関係を迫ったり、日清戦争の際、広島に設けた大本営でも芸者遊び。掃いて捨てるほど女がいるという意味で、“ほうき”の異名を取りました」(前同)
そんな伊藤には、もう一つ“初代”の勲章がある。「吉原で遊んだ帰り、馬車に乗ろうとする伊藤を見送りに来た別の芸者をすっかり気に入ってしまって、そのまま馬車に乗せ、一晩中、馬を走らせながら車内で……。記録に残っている中では、車内での日本初。明治天皇も、これには呆れ果て“いい加減にせよ”と叱ったとか(笑)」(同)
知れば知るほど面白い、ニッポンの偉人たちの“真の姿”。次は、どんなエピソードが明らかになるのか。今後の研究を待ちたい。