■桑田真澄、清原和博のPL学園「KKコンビ」

 この翌年、3年となった荒木は、最後の甲子園に出場。ここで、荒木に引導を渡したのが、「やまびこ打線」の池田高校だった。そして、その後、甲子園には池田旋風が到来。これを終わらせたのが、他ならぬPL学園の桑田真澄清原和博の“KKコンビ”だ。83年の第65回大会。準決勝のPL学園対池田の戦いでは、高校野球の新旧交代を鮮やかに見せつけた。

「エース・水野雄仁を擁する池田は82年夏と83年春の優勝校。1年生の桑田や清原がどれだけスゴイとは言っても、あんな結果になるとは思いませんでしたね」(前出スポーツ紙デスク) 猛打の優勝候補を相手に、桑田は5安打完封。打っては2ランホームランと大活躍。結果は7-0、まさに圧勝だった。

 1年生で4番としてデビューし、甲子園でその強打者ぶりを見せつけてきた清原に対し、超高校級スラッガーといわれながらも結果を残せなかった打者がいる。星稜の松井秀喜だ。松井が甲子園に登場したのは92年の第74回大会。2回戦の星稜対明徳義塾戦で、球史に残る大事件が起きた。「明徳は、松井に対しストライクを一球も投げず、全打席敬遠してしまったんです。結果、星稜が負けたこともあり、日本を二分する議論になりました」(同)

 2000年以降で、忘れられない名勝負といえば、06年第88回大会の決勝戦。早実対駒大苫小牧の一戦だろう。斎藤佑樹田中将大との白熱した投手戦だ。高校野球専門誌『野球太郎』の持木秀仁編集長が分析する。「大会前、高校野球ファンの関心は駒大苫小牧の夏の三連覇がなるかどうかの一点でした。ところが、大会が始まると、ハンカチで汗を拭く早実のイケメンエースがどんどん目立ってきて田中を脅かしていく。そんな2人が決勝で直接対決。願ってもないドラマが実現したんです」

 試合は、両者一歩も譲らずに延長15回1-1で引き分け。翌日の再試合では、早実が4-3で勝利するが、最後のバッター・田中を斎藤が打ち取るという劇的な幕切れ。24回を完投した斎藤は試合後、“ハンカチ王子”として大ブレイク。一躍、甲子園のアイドルとして、すさまじい人気を獲得することになる。

 今年の夏も、そしてこれからも、甲子園で様々なドラマが生まれるに違いない。

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