広島カープといえば、代名詞は「走る野球」である。連覇を達成した2016、2017年、盗塁数は118、112で、いずれもリーグトップだった。2016年は2位東京ヤクルトに36個、17年は2位中日に35個差をつけた。“タナ・キク・マル”で知られる1番・田中広輔、2番・菊池涼介、3番・丸佳浩のトリオは揃って俊足で、また優れた走塁技術を有している。球団創設26年目にして初のリーグ優勝を果たした75年は大下剛史が、日本一連覇を達成した79、80年は高橋慶彦が2年連続で盗塁王に輝いている。

 では、広島に「走る野球」を植え付けたのは誰か。それはチームを球団史上最多となる4回のリーグ優勝、3回の日本一に導いた古葉竹識だろう。

 入団6年目の63年、古葉は巨人の長嶋茂雄と熾烈な首位打者を演じていた。ところが、10月のある日、大洋・島田源太郎のシュートをアゴに受け、残り試合を棒に振ってしまったのだ。その際、長嶋が古葉に送った電報は今も語り草である。〈キミノキモチヨクワカル 1ニチモハヤイゴゼンカイヲイノル〉 最終的には長嶋3割4分1厘、古葉3割3分9厘。わずか2厘差で涙を飲んだのである。

 翌64年、ケガは完治したものの、死球のトラウマは残った。内角のボールに腰が引け、踏み込めなくなってしまったのだ。「このままじゃ給料も減らされてしまう……」 古葉がすがったのは、自らの足だった。打率は2割1分8厘と前年から急降下したが、57盗塁で自身初の盗塁王に輝いたのだ。

 走る野球の大切さと面白さを知った古葉は、監督になってから高橋、山崎隆造、正田耕三らをスイッチヒッターに転向させた。持ち前の足をいかそうと考えたのである。その伝統が今に生きているのだ。

 もし55年前、古葉が首位打者に輝いていたら、「走る野球」に目覚めることはなかっただろう。本人にとっても球団にとっても“ケガの功名”だったわけだ。

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