■菅原文太は酒癖がよくなかった

 豪快スターの宝庫といえるのが東映だ。「黄金期の時代劇を作っていた京都撮影所では、スターが祇園で豪遊したり、大盤振る舞いをするのが常。典型的な例が中村錦之助(のちの萬屋錦之介)でしょう」(スポーツ紙記者)

 錦之助は自らの豪邸にスタッフや出演者を招き、連日、大宴会を開いていた。その影響を多大に受けたのが松方弘樹で、彼の辞書に「割り勘」という言葉はなかった。「主演映画やドラマの撮影がクランクアップすると、100人前後のスタッフ、キャストと高級焼肉店を貸し切って打ち上げ。年間十数本の主演作がありましたが、毎回、200〜300万円の支払いはすべて松方持ちでした」(前出の城下氏)

 さらに、こんな逸話も。「自らプロデュースした映画がヒットしたときは、飛行機をチャーターしてスタッフや出資者をハワイに招待。こうして、稼ぎをすべて使い切ったといいます」(前出のスポーツ紙記者)

 松方はまた、オンナも大好物だった。「千人斬りの噂がありましたが、これは本人が晩年に一部を訂正しています。一生に千人ではなく、1年に千人だと(笑)」(前同)

 その松方と東映実録路線を支えた菅原文太も、夜の街を愛した。「文太さんは酒癖があまりよくなかったようで、店の女性たちにはあまりモテなかったと聞きます」(映画関係者)

 その反面で文太は、仕事に対しては一本気だった。2011年に東映の岡田茂名誉会長(以前は社長)の葬儀で、文太による弔辞に、こんな一節があった。〈岡田さん、もう喧嘩もできなくなりましたよね。よく、怒鳴られ、怒鳴り返したこともあった〉「つまり、東映の首領であっても、納得がいかないことがあれば、食って掛かっていた。今、映画会社の社長に歯向かう俳優なんていない」(前同)

 一方で、東映の大黒柱・高倉健はどうだろうか。「バンカラ学生時代は赤線通いをしていたという説もありますが、スターになってからは銀座や祇園で豪遊することはなかったとか。でも、健さんは決してケチではない。なにしろ、共演者や世話になったスタッフにまで、ロレックスの高級品をポンとプレゼントするんですから。しかも、〈高倉健〉の名前入り。そんなことをされたら、みんな感激して健さんシンパになってしまう」(出版関係者)

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