山本“KID”徳郁
山本“KID”徳郁

 がんで闘病を続けていた、元レスリング選手で格闘家の山本“KID”徳郁さん(41)が9月18日、亡くなった。

「KIDさんは8月26日、自身のインスタグラムでがんの闘病中であることを告白。病気の詳細は明かしませんでしたが、<絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!>と力強いメッセージを残していただけに、今回の急な訃報には驚きしかありません」(スポーツ紙記者)

 KIDさんは1999年に、全日本学生レスリング選手権で優勝。同年の全日本レスリング選手権でも準優勝を飾るなど、レスリング選手として輝かしい成績を残すなか、総合格闘技やK-1にも挑戦。2004年の大晦日での『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』での魔裟斗との壮絶な打ち合いなど、記憶に残る激しいファイトが、格闘ファンを虜にしていた。

 時にはレフェリーの制止を無視して相手を殴り続け、ライセンス停止処分を受けるなど、“野獣”の一面がクローズアップされることが多かったKIDさんだが、その素顔は、とても優しい男だったという。

「2012年の4月には、周囲がためらうなか、線路に落ちた高齢男性を、自ら線路に降り、抱き上げて救出したと『女性セブン』(小学館)に報じられたことがありました。その際、KIDさんは後日の取材に対し、おじさんがあの後どうなったか心配だから記事を掲載するならそのことを書いてほしい、と語っていたのが印象的でしたね」(女性誌記者)

 KIDさんの実父で、ミュンヘンオリンピックレスリング日本代表の山本郁榮さん(73)は、著書『子供を『世界一』にする山本家流DNA教育法』(双葉社)の中で、KIDさんについてこうつづっている。

<山本家にとって最も大きな悲しみは、1999年9月に妻であり母である憲子が白血病により、他界したことです。~~そんな中、徳郁が3日後に迫っていた全日本学生王座決定戦(団体)への出場を決めたのです。「ママが望んでいることは、ちゃんと自分のやるべきことはやることだと思う。だから俺は出る」。当時、徳郁は山梨学院大学でレスリングをしていましたが、母親の看病のためにたびたび甲府から上京してくれていました。そのため、十分な練習もできず、減量も二の次になっていました>

 家族に対する深い愛情を持っていたKIDさん。それは全身に入ったタトゥーにも表れていたという。

<徳郁が全身に入れているタトゥーも、親の気持ちからすれば、諸手を挙げて賛成しているわけではありません。しかし、徳郁には彼の考えがあってタトゥーを肌に刻んでいる。人に見せるためというより、自分の信念や他者への愛情が表現されています。彼の子供の名前もありますし、左腕に彫られている祈りを捧げるポーズには、亡くなった母への思いが込められています。「いつもいっしょに闘っている」という思いは、徳郁が試合前、必ず母の墓前へ花を手向けに行くことからも十分わかっています>

 2014年11月には、婚約していた女性との間に女児が誕生したことを明かしていたKIDさん。KIDさんの甥で、姉・美憂さんの息子、東京五輪の“レスリング金メダル候補”の山本アーセン(22)はかつての本誌の取材にこう語っていた。

「(KIDさんは)カッコイイですよ。ホント、俺のヒーローですから」

 あまりにもあまりにも早すぎる永眠……合掌。

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