貴乃花
貴乃花

 大関在位65場所。100キロを超える驚異の握力を誇り、「怪力大関」として、優勝5回を達成した元大関の魁皇。2011年、38歳で惜しまれつつ引退。友綱部屋の部屋付き親方を経て、14年、東京・墨田区に浅香山部屋を創設し、一国一城の主となった。

 大関・魁皇が初土俵を踏んだのが、昭和63年春場所のこと。福岡県直方市の中学で柔道部だった魁皇は、部屋関係者のスカウトを受け、相撲はほぼ未経験ながら、友綱部屋に入門した。このとき、魁皇と一緒に初土俵を踏んだのが、若花田(のち横綱・若乃花)、貴花田(のち横綱・貴乃花)、大海(のち横綱・曙)といった面々だった。

「新弟子検査のときから、若貴目当ての報道陣が殺到していて、正直“エライところに来ちゃったなぁ”と、入門を後悔しましたよ(苦笑)」と、浅香山親方が振り返るように、「無印」の魁皇(当時、古賀)を尻目に、若貴兄弟、曙は驚異のスピードで番付を駆け上がっていき、63年春場所が初土俵の力士たちは、「花の六三組」と呼ばれるようになった。

 3人の中で、魁皇と同じく中卒、15歳で入門したのが貴花田。17歳2か月で新十両に昇進。さらに、17歳8か月で新入幕を果たし、世間の度肝を抜いた。「貴花田は自分と同じ年の人間だとは思えなかったですね(笑)。でも、同期生があれだけのことができるんだから、“自分も頑張らなければ!”と、憧れを持ちつつ、目標にしていたんです」

 魁皇が新十両に昇進したのは平成4年初場所、19歳のこと。入門から4年、10代での十両昇進はかなり速いペースだが、同期生3人が抜きん出ていたため、話題になることは少なかった。そして平成6年春場所、前頭筆頭の魁皇は初顔合わせの曙との対戦で、白星を挙げる。「同期生なのに、番付が離れ過ぎていて、これが最初の対戦だったんです(笑)」

 一番思い出に残るのは、翌7年初場所、横綱・貴乃花から挙げた金星だ。「このとき、お互い22歳。貴乃花が新横綱の場所でした。この後も貴乃花とは何度も対戦があったけれど(12勝27敗)、“ようやく追いついた”という気持ちでしたね。これは対戦した力士じゃないと分からない感覚だと思いますが、貴乃花って思いきりぶつかっていっても、まったく勝てない。スキがない強さなんです。その後、朝青龍が横綱に昇進して、一時代を築きましたよね。年齢差はだいぶあるんですが、彼にもだいぶ痛めつけられました(12勝25敗)。朝青龍は本当に強くて、瞬発力も抜群ですが、スキがあるんですよ。それで自爆するケースがある。貴乃花と朝青龍の決定的な違いは、その点でしょうね」

 若乃花、曙に関しては、「若乃花はやりやすいタイプだったなぁ(14勝15敗)。相撲がうまくてすばしっこいけど、なんとかなるって感じ(笑)。曙には分が悪かった(6勝25敗)。手足が長いから、まわしを取る相撲を得意とする私にはやりづらい相手でした」(前同)

 横綱に上り詰めた同期生の3人は若乃花、曙、貴乃花の順に現役を引退。「同期が誰も角界に残ってない。皆、個性が強すぎたのかな」

 それぞれ別の道に進んでも、「六三組」の絆は固く、数年前まで同期生会を開いていた。「曙が闘病中ということもあり、今は自粛しているんです。貴乃花も相撲の仕事のときは無口だけど、同期会では別人のように饒舌。本音を言えば、貴乃花には協会に残ってほしかったし、これから先を考えたらいてくれなきゃと思ったんだけど。相撲に関わりたいと言っているから、何か協力できたらね。苦しい稽古で這い上がってきた男ですから、どんな世界に行っても成功してくれると信じています」

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