■朝青龍VS旭鷲山「風呂喧嘩」仲裁の真相
「昔から喧嘩を仲裁することは多かったんだよ。入門したての頃も、相撲教習所で曙が同期力士を煽って喧嘩していたのを止めたりしたよ。皆、負けん気が強いから、ケンカして浴衣がビリビリに破れたりということもよくあったね」
こう当時を懐かしむ浅香山親方。魁皇による“名仲裁”といえば、有名なのが03年名古屋場所での、横綱・朝青龍と旭鷲山の風呂場での大喧嘩。朝青龍が旭鷲山の髷をつかみ、反則負けとなった取組後の出来事だった。
「確か、旭鷲山が先に風呂に入っていて、朝青龍が後から入ってきたんだ。すると、旭鷲山がわざと肩をぶつけて、けしかけてきたんだよね。若い衆も止められないから、とりあえず2人を引き離して、なんとか場を収めたよ。ただ、マスコミにバレたら大騒ぎになるから、彼らには“絶対にしゃべるなよ”と言っておいたんだ。場所中だし、喧嘩で騒がれると大変だからね。
ところが風呂場から出てびっくり! 旭鷲山がもう、しゃべってたんだよ(笑)。彼は“朝青龍がやった”と主張していたけど。旭鷲山は、すぐ表に出しちゃう目立ちたがり屋なところがあるからね。そこは今も変わらない(笑)。
同郷の後輩の朝青龍が横綱にまで大出世して、嫉妬ややっかみもあったのかな? まあ、とにかく、あの2人はソリが合わなかった。朝青龍は意外と、ちゃんとしてたんだよ。ただ裏表がないからヤンチャもするし、自制することもできなかったんだろうね」
(取材・文/武田葉月 ノンフィクションライター)