■吉永小百合、渡哲也や舘ひろしと共演して

 高倉の独立後、入れ替わるように松田が東映の話題作に出演。舘ひろしと共演した本格アクション映画『暴力教室』(76年)から、吉永小百合扮する与謝野晶子を愛する作家・有島武郎を演じた『華の乱』(89年)まで14本を数える。「村川透監督と組んだ『遊戯シリーズ』は、迫力あるアクションシーンが話題になりました。『野獣死すべし』では、10キロの減量と、奥歯を4本抜いて頬の張りをなくすという壮絶な役づくりをしています」(前同)

『人間の証明』(77年)の棟居刑事役は、渡哲也にオファーするがスケジュールが合わず、松田が演じた。それを気にかけていた松田は、渡に申し訳ないと手紙を書いている。「渡さんとは、日本テレビの『大都会PART2』(77年)で共演してからプライベートでも親しくなったようです。渡さんの自宅へ遊びに行ったり、2人で原田芳雄さんの家を訪ねたり、友達づきあいが続きます」(日本テレビ関係者)

 渡は『松田優作クロニクル』で松田との思い出を、こう述べている。〈85年の冬の夜に、優作から行きつけの店で飲んでいるから来てほしいと呼び出されたことがあります。要は何で私が映画に出ないのか、映画に出るべきだ、出てほしいという話の繰り返しでした。優作の気持ちがよくわかったので、夜が明けるまで語り合ったという記憶があります〉

 松田は演劇仲間だった美智子夫人と81年に離婚。日本テレビの『探偵物語』(79年)で知り合った熊谷美由紀と83年に再婚する。「私生活の大きな転換期に、鈴木清順監督の『陽炎座』(81年・日本ヘラルド映画)、森田芳光監督の『家族ゲーム』(83年・ATG)、『それから』(85年・東映)に出演。松田が演技派へ転身し、性格俳優といわれるようになった作品です」(前出の映画ライター)

■ハリウッド映画『ブラック・レイン』で初共演も…

 尊敬する俳優は「ロバート・デ・ニーロ」と口をそろえる高倉と松田は、米国映画『ブラック・レイン』(89年・パラマウント映画)で初共演を果たす。松田の遺作となった映画だ。「マイペースで映画に出演する高倉に対して、もっと映画に出るべきだと松田は不満を持っていたようですが、共演して健さんの人間力に魅了されます。松田が“一緒に記念写真を撮ってください”と言って、カメラを差し出した唯一の俳優が健さんです」(前同)

 高倉の自著『あなたに褒められたくて』に、〈撮影終了前に、主演のマイケル・ダグラス主催の食事会に高倉と松田が招待され、『サバイバル・フロム・ブラックレイン』とプリントされた黒いTシャツをプレゼントされた〉と記されている。

 映画の撮影中に血尿が出るなど、松田は病魔と闘いながらクランクアップ。しかし、病状は深刻だった。『ブラック・レイン』の日本公開から1か月後の89年11月6日、膀胱がんで急逝。享年40(戸籍上は39歳)だった。「念願のハリウッド映画に出演し、国際映画スターとしての活躍が期待されていた矢先の訃報に、関係者は大きなショックを受けました」(映画関係者)

 一方、高倉が悪性リンパ腫で逝去したのは14年11月10日(享年83)。高倉プロから正式に発表されたのは亡くなってから8日後だった。「俳優仲間が誰一人いない、一部の関係者による密葬でした」(高倉プロ関係者)

 圧倒的な存在感とストイックな演技で、一時代を築いた高倉健と松田優作。両雄は、今も日本人の心の中に生き続けている。

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