■ツービートとして漫才ブームでスターダムに

 たけしがツービートとして漫才ブームで一気にスターダムに躍り出たのは、1980年のこと。その頃から、たけしに憧れる若手芸人やファンが、周囲に集まりだす。「たけしさんは草野球が大好きでしたから、チームに入れて、そのまま弟子になった人もいます。また、『オールナイトニッポン』で若者のカリスマになっていましたから、有楽町のニッポン放送の前で出待ちをして、弟子入りを志願して軍団に入った人もいます」(前出の芸能記者)

 当時のたけしは太田プロダクションに所属していたが、軍団メンバーには、自分のギャラから給料を支払っていたという。「たけしさんは、“ガキ大将気質”なんでしょう。軍団から、“殿”と慕われて持ち上げられるのも好きで、芸人さんであれほど面倒見がいいのは、たけしさんが最後だと思いますよ」(前出の石川氏)

 たけしは特に、漫才ブームの直後に弟子入りしてきた初期の軍団メンバーを大切に思っているようだ。「初期の軍団メンバーは、たけしさんの番組に一緒に出演し、お茶の間の人気者になっていくんですが、収録後に説教されることも多かったようです。たけしさんは、“お前ら本気でやってんのか! あんなくだらねえ感じで、これから先、何年も飯が食っていけんのか!”と細かくダメ出しをしたといいます」(テレビ局関係者)

 “芸”に対しても、人一倍厳しかったという。「芸がなければ芸人とは言えない、というのが口癖でした。たけしさんは何本もの収録をこなしながら、その間にタップダンスやピアノの練習をしたり、読書していたそうです。特番のネタなども自分で考えて提案していたようですから、スーパーマンですね。じゃ、仕事一筋かというと、そうではなく、忙しい合間を縫って、軍団とドンチャンやったり、草野球をしたりしていたそうです。弟子たちは皆、“殿は、いつ寝ているんだろう”と思ったそうですよ。“自分の背中を見ていたら、お前たちもサボれないだろう”というのが、たけしさん流の教育だったんでしょう」(前同)

 この当時のたけしの超人ぶりを示す、こんなエピソードがある。「ラッシャー板前が、たけしさんの運転手をやっていた時代の話です。深夜、たけしをマンションに送ると必ず、“これは勉強になるから見ておけ”と言われて、アニメ『まんが日本史』のビデオを渡されたそうです。たけしさんはその間、仮眠を取るんですが、ラッシャーが面倒くさくなってビデオを早送りすると、奥から“おい、早送りしないでちゃんと見ろ、バカヤロー!”と、たけしさんの怒号が飛んできたそうです。ラッシャーは、殿はどこに目がついているんだろうと、不思議がっていました」(同)

 また、こんな話もある。「弟子の一人が新宿で飲んでいたら、“兄ちゃん、薬物買わない?”と、怪しいオヤジが近づいてきたそうです。弟子が“いらねーよ、そんなもん”と言ったら、そのオヤジが“これは上物だよ。たけしも買ってるんだぞ。だから、あいつは、あんなに働けるんだよ”と言ったそうです(笑)。後日、弟子がその話をしたら、たけしさんは“そうか、そうか”と笑って喜んでいたそうです」(同)

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