■森昌子、山口百恵、石川さゆりで3人娘として売り出そうとしたが

 そんな頃、当時、中学3年生だったさゆりは『ちびっ子歌謡大会』(フジテレビ系)に出場し合格。ホリプロにスカウトされ、歌手への切符をつかんだ。そして、15歳だった73年に『かくれんぼ』という曲でデビューする。 「当時、ホリプロは、森昌子(60)、山口百恵(59)、そして、さゆりを3人娘として売り出そうとして、『としごろ』(73年)という映画で共演させています」(芸能誌記者)

 ところが、すぐにさゆりのポジションは、他の2人と同じ『スター誕生!』(日本テレビ系)出身で事務所が違った桜田淳子(60)に取って代わられてしまうのだった。以後も人気は上がらず、昌子、百恵の活躍を悔しい思いで見ることになる。「ただ、その頃のさゆりは、故・三橋美智也や二葉百合子(87)の門を叩き、芸域を広げている。この時代があったからこそ、今の彼女があるんです」(同)

 風向きが変わったのは、77年。『津軽海峡・冬景色』が、その年を代表する大ヒット曲になるのだ。『日本レコード大賞』最優秀歌唱賞を受賞し、『紅白』に初出場。かつての中3トリオに、ようやく追いついたのだった。その後も、『能登半島』『沈丁花』などがヒットし、『紅白』の常連に。代表曲となる『天城越え』のリリースは86年のことだった。

 サブちゃんとさゆりには、いくつかの共通点がある。まず挙げられるのは、プロ意識の高さだろう。「北島さんは、82歳になっても声量がまったく衰えず、体型も変わらない。これは陰で相当の努力をしている証拠です」(スポーツ紙記者)

 こんな面もある。「座長公演ではスタッフ、共演者と楽屋で同じ釜の飯を食べる。そうして周囲を盛り立て、気を配り、結果的に舞台を成功に導く。これもプロ意識の高さの表れでしょう」(前同)

 さゆりも、おごることなく芸を磨く姿勢を見せる。「師匠の二葉百合子さんから引退の意思を告げられると、“お体に気をつけて。また、歌を教えてください”と謙虚に告げたとか」(同)

 二葉門下生は他に、坂本冬美(51)、原田悠里(63)、藤あや子(57)、石原詢子(50)、島津亜矢(47)ら錚々たる面々がいる。後輩たちは、長女的存在である、さゆりの背中を見て育った。また、演歌の枠にとらわれず、椎名林檎(40)など、さまざまなミュージシャンと交流し、楽曲の可能性を広げる姿勢を見せる。

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