平成最後の――。という冠がついた朝日杯フューチュリティステークスは4着。これはレースが終わってから言えることですが、14番という外枠には向かない展開になってしまいました。

――この結果をどう捉えればいいのか? ファンタジストにとっては距離が長かったと見る人もいるでしょうし、先着した馬に比べて力が一枚足りなかったと考える人もいるでしょう。でも、しかし。僕はそうは思っていません。道中の折り合いもついていたし、及ばずとはいえ最後までしっかりと伸びていました。

――1600メートルまでなら十分に戦える。その手応えをつかんだレースになりました。

 話題はちょっと逸れますが、最近、新聞や雑誌、テレビなどを見ていてなんとなく気になるのが、冒頭に書いた“平成最後の”という謳い文句です。平成の10大ニュース。平成のヒット曲……。ボーッと見ていると、あと1週間あまりで平成が終わってしまうような錯覚を覚えます。競馬界でもNHKマイルカップ以降、ほぼすべてのレースで、このフレーズを使っているので、あまり大きな声では言えないのですが(苦笑)。

 でもよく考えてみると、今上陛下がご退位される平成31年4月30日までは平成なんですよね。

 僕は昭和の生まれで、デビューしたのも昭和です。時代が昭和から平成に変わった年は、デビュー3年目。伝説と呼ばれている桜花賞での大きな出遅れがあった年です。G1勝利は、このシャダイカグラでの桜花賞を皮切りに、イナリワンで天皇賞(春)と宝塚記念。スーパクリークでの天皇賞(秋)と4つ。アメリカのアーリントン競馬場で、海外初勝利を挙げたのもこの年でした。そうそう、大種牡馬サンデーサイレンスが、ケンタッキー・ダービーを勝ったのも同じ平成元年です。

 元号が変わった当初は、“ふ〜ん”という程度でしたが、30年の間に、後輩がどんどん増えていって。今では平成生まれという騎手が増えてきています。

 時代の変化に伴って、競馬界も様変わりしています。騎乗技術、騎乗フォーム、道具も大きく変わりました。手綱の長さもそのひとつ。単純に長くしてみたり、短くしてみたりというのではなく、その時々で、みんな工夫し、これがベスト! というものを探し求めて来ました。

■ディープインパクトやオルフェーヴルが成し得なかった凱旋門賞制覇の夢

 そんな中、最も変わったと思うのが、日本馬の強さです。いまだ凱旋門賞には届きませんが、それも時間の問題だと感じています。エルコンドルパサーが、ディープインパクトが、オルフェーヴルが成し得なかった日本のホースマンの夢は、もうすぐそこまで来ています。

 新しい時代を迎えると、昭和世代はふた昔前の人間ということになりますが、そんな考えはゴミ箱に捨て、もうひと踏ん張り。明日に向かって一緒に走り出しましょう。

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