吉永小百合、高倉健…昭和大スターが『週刊大衆』に語った真実の画像
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 1960年代、錚々たる有名人に突撃取材した本誌人気連載『突如参上』。当時の貴重なインタビューを「復刻再現」! あの名優がまだ若かりし頃の名言・珍言を一挙紹介します!

■大人気女優は看護婦さんになりたかった!?

 日活のドル箱女優として、吉永小百合(当時19歳)のブロマイドが売れに売れたのが1964年。その年の主演映画の興行収入は20億円を超えた。翌年1月、そんな超売れっ子のもとへ、全国のサユリストを代表して参上!

 本誌の「初めてニキビができた年齢は?」などという意地悪な質問にも、いたずらっぽく笑いながら、「あれはネ、中学2年生のときかな。初め、自分では全然知らなかったんです。お友達に言われちゃって……。どんな気持ちがしたかって? そりゃもう恥ずかしいような嬉しいような……ほら、ニキビは青春のシンボルって言うでしょ。だから私も、いよいよ年頃になったのかなァ……と思って……」

 そんな彼女が小さいときになりたかった職業は、「看護婦さん。あの白衣がいいなァと思って、憧れちゃった。お友達なんかもみんなそうで、自分たち同士で話し合って、どうやったら看護婦さんになれるのかしら……なんて言ったりしてたものです」

 高校在学中、『キューポラのある街』のヒロインに抜擢され、中退した彼女は、大学入学資格検定試験を受けた。本誌の「苦手な課目は?」の問いに彼女は即座に「物理です」と答えている。「どうも、これは苦手だワ。大学入試の検定試験でも、物理が一番、出来が悪かったんです。好きじゃないからヤマかけちゃって(ペロリと赤い舌を出す)。そしたら、それがみんな外れちゃってね(ポツンと)ツイてないワ。それに自動車事故で体育の実技試験が受けられなかったし……」

 インタビューで「今年こそは、なんとかものにしようと思っているんですけどネ」という小百合様は、その言葉通り、早稲田大学第二文学部に合格した。本誌との一問一答を続けよう。

――電車のシートに泥だらけの靴で上がっている子どもを見たら。

「注意してあげるワ。でも最近は、お母さん方が、ちゃんとしてらっしゃるようですね(中略)それよりも、この間、母が言ってたんですけど、近頃の若い人、お年寄りにあまり席を譲ってあげないでしょう。子供の靴より、そのほうが問題じゃないかしら」

――浪曲を聞きに行こうと誘われたら。

「(笑顔で)喜んで行きます。ヘンでしょう。そんなに笑わないでよ。私ね、好きなのよ。義理とか人情っていうんじゃなくて……なんていうのかな、日本本来のね、良さがあると思うんですよ」

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