村田兆治
村田兆治

 ロッテ黄金期に君臨した大エースには、メジャー球団が群がった!? 215勝レジェンドが明かす「投手論」とは!!

 インタビュー開始早々、村田兆治氏(69)はサイン用のボールをフォークボールの握りで持ち、こう言った。「これを取ってごらん」。本誌記者が取ろうとすると、力を入れても、人差し指と中指に挟まれたボールはビクともしなかった。

村田 今でこそフォークボールは俺の代名詞のように言われるけど、最初から投げられたわけじゃない。プロ1年目から、いろんな変化球に取り組んだよ。ただ、チェンジアップは体が前に突っ込んでしまって、どうしても自分の投球フォームには合わなかった。でも、フォークは真っすぐと同じ腕の振りで投げられるから、自分の投球フォームに合っていたんだよね。あとは、少年時代から阪神の村山実さんに憧れていたのも大きかったかな。あの頃の阪神は打線が弱くてね。そんな中で村山さんは孤軍奮闘、必死で投げていた。しかも武器はフォークボール。だから、自分もフォークを投げるピッチャーになりたかったんだ。

 でも、マスターするのは容易じゃなかった。なんとかものになったのは4年目。初めて2ケタ勝利(12勝8敗)できたんだけど、その間、血のにじむような投球練習をしたし、右手の中指と人差し指の間に牛乳瓶や特注の鉄の球を挟んだりもした。フォークを投げられるようになったのは、そうしたトレーニングの賜物だったんだ。

 村田氏のもう一つの代名詞が、軸足をくの字に曲げ、右肩を深く沈めた状態から投げ下ろす「マサカリ投法」だ。このフォームが完成した背景には、1973年にロッテの監督となった金田正一氏の存在があった。

村田 ピッチングフォームで一番大事なのは、足と膝を使って投げること。打ち取りたいと思う意識が強くなると、どうしても体が早く突っ込む。これを避けるためには、左膝を高く上げ、右膝を沈み込むようにすればいいというのが、俺の出した結論なんだ。でも、このフォームで投げるには、走り込んで下半身を鍛えないといけない。ちょうど、そんなことを考えている頃に、金田さんが監督になったのは幸運だったよ。文句を言いたくなるくらい、とにかく、よく走らされたから(笑)。もともと金田さんは走り込みだけじゃなく、食事法を含め、独自のトレーニング理論を持っていた人。その金田さんが監督になって2年目に日本一になり、俺も日本シリーズで胴上げ投手と最優秀投手になれた。金田さんは、本当に俺の「恩人」と言っていい。

 でも、反抗したこともある。ある試合で金田さんが投手交代を告げに来て、俺の手からボールを奪おうとしたとき、思わず手を引っ込めたんだ。金田さんは「監督の命令を聞けないのか!」と怒ったけど、それでも俺はマウンドを降りるのを拒否し、最後は「打たれたら給料はいりません」と大見得を切った(笑)。結局、最後は金田さんが折れて「好きにせい」とベンチに戻って行ったんだ。結果? もちろん抑えたよ。次の打者をダブルプレーに打ち取って、試合は4対2で完投勝利。ただ、しばらくの間、金田さんとは気まずい雰囲気だったな。でも、あの人も前人未到の400勝を達成している大投手だから、エースの心理は理解してくれていたと思う。今でも、金田さんとは野球教室で一緒になる仲。「俺の葬式で弔辞を読んでくれるとしたら、兆治しかいないな」なんて、よく言われるよ。ダジャレみたいだけど、金田さんの本心なんじゃないかな(笑)。

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