■60歳の誕生日の記者会見では…

「赤坂と皇居の往復がなくなり、街の様子や街を行く人の姿を目にすることが少なくなったことを感じています」(平成5年12月 60歳の誕生日の記者会見で)この年の12月に新御所が完成し、赤坂御用地から引っ越した。その後の感想を求められてのお言葉。

「今は確か“おじじさま”と呼ばれているように思います」(平成5年12月 60歳の誕生日の記者会見で)陛下にとって初孫となる眞子さまが平成3年10月に生まれていた。その眞子さまから何と呼ばれているかという質問に対するご回答。

「結婚の問題は、本人の気持ちが尊重されることが大切」(平成6年12月 61歳の誕生日の記者会見で)紀宮さまのご結婚について、父として、天皇陛下としての立場で、聞かれて。「国民の納得を得られる人が望ましく」とも述べられている。

「多くの人々が長く苦労の多い避難生活に耐えねばなりませんでした。ことに高齢の被害者の気持ちはいかばかりであったかと察しています」(平成7年12月 62歳の誕生日の記者会見)1月17日に発生した阪神・淡路大震災の被災地に向けたお言葉。実際に現地を訪問し、被災者をお見舞いしている。

「科学技術が日進月歩の勢いで進歩している今日、科学技術を扱う人々がどのような意識で仕事をしているかということが極めて大切と思います」(平成7年12月 62歳の誕生日の記者会見)サリン事件について「思いもよらない恐ろしい事件でした。元気に朝出勤して来た人々が事件にあい、亡くなり、また、救出活動に当たっていた人々が亡くなり、本当に、その遺族のことを思うと、心が痛みます」とも述べた。

「“昭和天皇はどう考えていらっしゃるだろうか”というようなことを考えながら、天皇の務めを果たしております」(平成10年12月 65歳の誕生日の記者会見で)在位10年にあたって、昭和天皇のお気持ちを引き継ぐ意思を述べられた。

「これまでの研究を通して、私は論文を書き上げることの厳しさと喜びを味わってきました」(平成12年2月 魚類の多様性に関する国際シンポジウム懇親会で)ハゼの研究者としても知られる陛下。公務のかたわら、学界の発展に貢献されていることに関して、研究者の立場から述べたお言葉。

「理想を持って人々を育てることは,日本の明日の社会を健全に、志高く築いていく上で非常に大切」(平成12年11月 全国私立学校審議会連合会で)少子高齢化や国際化、情報化など、さまざまな変化が起こる近年の状況において、教育が果たす役割について話された。

「皇族の立場について男女の差異はそれほどないと思います」(平成13年12月 68歳の誕生日の記者会見)愛子さまが生まれたことについて。「女性皇族の立場は過去も大切であったし、これからも重要と思います」と、皇室の男女感について触れている。

「国と国民の姿を知り、国民と気持ちを分かち合うことは、象徴の立場から大切なことと考えています」(平成14年6月 ポーランドとハンガリーご訪問に際して)外国人特派員の目には「日本の皇室は世間から隔離されているように見える」という指摘を受けて。

「私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは、島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした」(平成15年12月 70歳の誕生日の記者会見)陛下の母・香淳皇后の母・久邇宮邦彦王妃の俔子さまが薩摩藩主・島津忠義の娘であることを踏まえ、この年までに計7回訪問された沖縄への思い。

「大勢の人々に励まされながら、このような天皇の務めを果たしていることを幸せなことと思っています」(平成19年5月 ヨーロッパ訪問に際して)「国や国民のために尽くす」という天皇のお務めについてのご感想。

「結婚によって開かれた窓から私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます」(平成21年4月 天皇、皇后両陛下ご結婚50年に際して)「お二人の50年間の歩みの中で、お心に残ったことについて、とっておきのエピソードを交えながら、お聞かせください」という質問に答えて。

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