松田聖子
松田聖子

 聖子と明菜。アイドル黄金時代の覇者である2人は、タレントとして、女として、あまりに対照的な道を歩んでいる。

 1980年、秋に引退する山口百恵(59)の所属レコード会社のCBSソニー(当時)は、“ポスト百恵”発掘を急務とした。オーディションでソニー関係者にスカウトされ、大手芸能プロダクション・サンミュージック入りした松田聖子(56)が18歳でデビューしたのは、その年の4月だ。ただし、彼女はプロ野球選手にたとえると、ドラフト会議での外れ1位指名のような新人だった。というのも、当初、ソニーとサンミュージックには、中山圭子という別のイチオシ新人がいたのだ。 「聖子より2歳若い彼女は80年2月にデビュー。ところが期待を裏切り、コケてしまう。そこで両社は、無慈悲にも早々と中山に見切りをつけ、二番手に控えていた聖子に宣伝予算をつぎ込むんです。なお、デビューに際し、“新田明子”なる芸名も候補に挙がっていたとか」(音楽関係者)

 デビュー曲『裸足の季節』発売時のキャッチフレーズは、「抱きしめたい! ミスソニー」。“ポスト百恵”本命への格上げだった。80年組の女性アイドルは他に、岩崎良美(57)、河合奈保子(55)、三原順子(54=現・じゅん子)、柏原よしえ(53=現・芳恵)らがいたが、2曲目の『青い珊瑚礁』のヒットで、聖子はトップに浮上する。当初は“ぶりっ子”と揶揄もされたが、8枚目の『赤いスイートピー』の歌詞が共感を呼び、女性からも支持を集めていく。 「曲の魅力だけではなく、仕事の充実と、女の歓びを同レベルで追求し続けたことで、聖子は女性ファンを増やしていきます」(元女性週刊誌記者)

 デビュー2年目には、歌手の郷ひろみ(63)との交際が報道されている。その頃、中森明菜(53)は、オーディション番組『スター誕生』(日本テレビ系)への3度目の挑戦で芸能界への切符をつかんだ。 「6人きょうだいの5番目として生まれた彼女は、経済的に恵まれない家族のため、お金を稼ぐ手段として歌手を志したとか」(前同)

 デビューはアイドル豊作年である82年。明菜が5月に『スローモーション』でデビューした時点で、松本伊代(53)、小泉今日子(52)、堀ちえみ(51)、石川秀美(52)、早見優(52)が、すでに世に出ていた。 「デビュー時は珍妙なキャッチフレーズでした。関係者に迷いがあったのかもしれません。“森アスナ”の芸名も検討されていたとか」(テレビ関係者)

 そのブレイクは、2曲目の『少女A』。聖子と対極のツッパリ路線がハマった。次の『セカンド・ラブ』の大ヒットにより、明菜は一気に聖子のライバルの位置に到達する。

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