■大好きな相撲の世界で楽しく生きるために

貴 ありがとうございます! 父とは小さい頃からずっと一緒に相撲に取り組んできました。小学校3年までは地元(兵庫県芦屋市)近くで極真空手をやっていたんですが、いろいろ考えることがあって(笑)、それから相撲に転向したんです。でも、自分は当時30キロくらいしかなくて、すごく小さかったんですよ。「こんなに体が小さい子が相撲で強くなれるわけがない」みたいなことを言われて、それから、父親から、ハンバーグや牛丼をたくさん食べるミッションを言い渡されて、体を大きくしていきました。正直、つらかったですね(笑)。でも、そのおかげで体重は2年間で40キロ近く増えて、相撲が面白くなってきたんです。それで、小4から小6までは貴乃花親方が指導する、東京にある「キッズ貴乃花」という少年相撲クラブにも通っていたんです。兵庫から東京までですからね。両親には本当に感謝です。

――お父様の特訓はかなり厳しかったようですが、続けてこられた理由とは?

貴 ただ「やれ!」と言われるだけじゃ反抗したかもしれませんが、小さい頃から、父は何のために今、キツい思いをさせているのか、説明してくれたんです。「プロで失敗してサラリーマンやるのか、この15年はキツくても、30年、大好きな相撲の世界で楽しく生きるのか。将来、プロになるため、今、耐えるんや!」と、よく言っていました。だから子どもなりに納得して父についていけたんです。

――そうした努力が実り、小学4〜6年では「わんぱく相撲全国大会」で3年連続入賞(3位以内)。中学3年時には中学横綱に。卒業後、大相撲入りも視野にあったとか?

貴 自分は中学を卒業したら、すぐにでも貴乃花部屋に入りたいと思っていたんです。その際、埼玉栄高の山田先生から、「将来、大相撲の世界で活躍したいのなら、ウチに来なさい」という言葉をいただいたんです。相撲部で心身ともに鍛えてもらったことで、高校時代も成績を残すことができました。親元を離れましたけど、たくさんの仲間と一緒に相撲と真剣に向かい合える時間ができたことは本当によかったと思っています。

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