■イチローやモハメド・アリに学んだこと

 高校3年生の9月に貴乃花部屋に入門。順調に出世し、16年夏場所、新十両に昇進。17年初場所での新入幕が決まった時点で、武将・上杉景勝にちなみ、「貴景勝光信」に改名。18年初場所では、初の三役になる小結に昇進するが、この場所は5勝止まり。平幕に落ちた春場所、貴景勝に悲劇が起こる。

貴 春場所の途中で右足をケガしてしまったんですよ。休場したくはなかったんですけど、仕方なかった……。病院に入院して、テレビで大相撲中継を見ていると、この中に参加できない、取り残されている感が半端なかったです。次の日からはもう、テレビ中継は見ていられなかった……。でも、このケガで、力士にとって食事や睡眠の大切さを再認識できました。力士は相撲を取っているときだけ相撲のことを意識するんじゃなくて、まわしを外した後も意識し続けなければいけないんだな、と。こうした時間を利用して、本もけっこう読みました。もともと、本を読むのは好きなんです。栄養学の本から、いろいろなジャンルのアスリートの本を読んで参考にしたり。ピンチをどう乗り越えたのかなど、精神的なものも学びましたね。

 イチローさんの本や、あと格闘技が好きなので、モハメド・アリさん、マイク・タイソンさんなど格闘家の本も印象深かったです。アリさんの言葉の〈俺はトレーニングが大嫌いだった。でも、自分にこう言い聞かせたんだ。絶対にあきらめるな。今は耐えろ。そして残りの人生をチャンピオンとして生きろ〉とか。あんなに強くて、ものすごくトレーニングした人でも本当は嫌いなんだな、それでも、やるんだなと。ケガで入院して、ここで腐ってたら二流やなと思いました。入院中、頭だけは元気ですから、本からもいろいろなことを学んで、今となってはあの3月が良い転機になったと思えます。師匠に「ケガ治せ」と言われたのも力になりましたが、やはり、自分で意欲的に調べて勉強するとその分、気づくことも多かったですね。

――休場明けの夏場所では10勝、名古屋場所も10勝、秋場所では小結に復帰して9勝。そして九州場所では、13勝で優勝の快進撃。

貴 いやぁ、もう優勝は出来すぎですよ。こうして振り返ってみると、18年は負け越した1月(初場所)、途中休場の3月(春場所)は最悪な場所でしたけど、それがあったから、11月の九州場所での優勝もあった。最悪なことも、最高なこともあった1年でしたね(笑)。

――初優勝では、美人のお母様も話題になりましたね。

貴(笑)、昔からよくいわれていましたけど、自分の母親ですからね。物心ついた頃から、ずっと見ている顔ですから、なんとも思わないですよ(笑)。子ども時代は、食事は母が全部作って体作りを支えてくれたので、感謝しています。

――優勝を果たし、「大関候補」と言われていますが、初場所への意気込みは?

貴 大関なんて、まだまだ早いですよ。(優勝した)九州場所の目標だって、「関脇昇進」だったんですから。これまで山田先生や前師匠(貴乃花親方)、父親から教わったこと、そこから身についたものを伸ばしていきたいということでしょうか。優勝は自分でも「まさか」という感じでしたけど、これが最初で最後にならないようにしたいという気持ちはあります。今より「上」(大関)を目指す気持ちは、もちろんありますよ!

「力士は笑う必要がない」と、これまで公の場では笑顔をほとんど見せなかった貴景勝だが、今回は22歳らしい笑顔があふれた。初場所での活躍にも要注目!

貴景勝光信(たかけいしょうみつのぶ)本名=佐藤貴信。1996年8月5日、、兵庫県芦屋市出身。175センチ、170キロ。2014年、貴乃花部屋に入門。同年九州場所、本名の「佐藤」の四股名で初土俵。17年初場所で新入幕し、現四股名に改名。18年初場所で新小結に。同年、九州場所で初優勝。翌19年の初場所で関脇に昇進した。

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