■メジャーリーグ挑戦秘話

 93〜2001年までの第2次長嶋政権では、巨人は3度のリーグ優勝(うち日本一2回)に輝いているが、その立役者はなんといっても松井秀喜だろう。「松井が目玉だった92年のドラフトで、巨人のスカウトは社会人投手でナンバーワンとされていた伊藤智仁を1位指名する方針で動いていました。これに激怒したのが、同じ年に監督に復帰を決めたミスターです。“松井は必ず日本を代表するバッターになる”と、松井1位指名に大転換させたんです」(同)

 4球団が競合する中、自ら抽選で交渉権を引き当て、晴れて松井は巨人入りする。「ミスターは、ドラフト前から松井の外野コンバートを決めていました。なんだか、“松井は必ず巨人に来る”と信じていたようなフシがありますね」(同)

 松井が入団するや、「4番1000日計画」を掲げ、マンツーマン指導に乗り出した長嶋氏。師弟の絆は、次第に強固になっていくのだが、それをうかがわせる、こんな秘話がある。「松井がメジャー挑戦をブチ上げたとき、巨人は総力を挙げて、これを阻止しようとしました。表向きには、ミスターもナベツネさん(渡邉恒雄オーナー=当時)から頼まれて、松井の説得に当たったとされています。ただ、本当は説得などしていなかったようです。ミスターは、かわいい弟子がメジャーに挑戦するなら、背中を押してあげたいと思っていたからです。“自分が育てた松井がメジャーで、どこまでやれるか見てみたい”という気持ちもあったでしょう」(球団関係者)

 ヤンキースに入団した松井がスランプに陥った際に、長嶋氏が国際電話をかけ、受話器の向こうで素振りさせ、その音を聞いてアドバイスしていたというのは有名な話。長嶋氏にとって、松井は“別格”だったのかもしれない。

「松井と同様、ミスターに大きな期待をかけられていた高橋由伸の場合は少々、勝手が違いました。ヤクルトに決まりかけていたのをひっくり返して強奪したほどミスターは由伸に入れ込んでいましたが、松井のように熱血指導したことはありません」(夕刊紙プロ野球担当記者)

 それは、長嶋氏が「松井は努力の人」、「由伸は天才」と区別していたからだとか。「由伸が不調の際に、ミスターに“アドバイスしてあげれば”と言ったことがあります。するとミスターは、“由伸は天才だから、必要ない。どうしてものときも、ひと言でいい”と言ったんです。驚きましたよ」(前同)

■上原浩治に掟破りの電撃訪問

 98年のドラ1・上原浩治の才能も、ミスターは愛してやまなかった。「1年浪人して苦学して大阪体育大に入学、エースとして大活躍していた上原は、地元の近鉄や阪神が先鞭をつけていました。ところが、長嶋さんは絶対に欲しいという(笑)。それで、遅ればせながら交渉に参加したんですが、芳しくはない。すると、ある日、甲子園で阪神戦のナイターが終わったあとに、ミスターが上原の自宅に挨拶に行くと言い出したんです。もちろん、アポなしです(笑)。上原の家に着いたときは、もう午前0時近かったですね。上原一家は、それはもう驚いたはずです」(同) 掟破りの長嶋氏の電撃訪問が功を奏して、上原は巨人を逆指名したという。

「00年のドラ1・阿部慎之助は、長嶋さんがユニフォームを脱ぐ最後の年にプロデビューした選手。それだけに印象も強いようです。ミスターは“打てる捕手”を待望しており、入団前から阿部を“掛布(雅之)型だね”と評価していました。掛布のように、上背はなくてもパワフルなスラッガーになるというわけです。入団時はリード面に不安を残していましたが、初年度から使い続けたのは、阿部の大成を確信していたからでしょう」(同)

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