手綱を握る掌がしびれるような2月。第1週に行われた土・日の競馬で5勝を挙げることができました。

 現在、騎手リーディングの1位は、短期免許で参戦した17勝のO・マーフィー騎手。僕は土・日で挙げた5勝をプラスして計16勝。昨年のリーディングジョッキー、ルメールと並んでいる(2着の差で3位)ということは、今年初となるG1フェブラリーステークスを前に、俄然、やる気スイッチに火が灯ります。しかも、5つのうち4つは3歳馬で挙げたもの。新馬(キスラー)、未勝利(ワダズミ、ロジシルキー)、500万下(タイミングナウ)とクラスこそ違いますが、どの馬も、これからの走りに期待が持てる馬ばかりで、誰よりも僕が一番、ワクワクしているかもしれません。この勢いで、今週は、昨年果たせなかったG1奪取に向けて、エンジン全開で臨みます。

 JRAで行われるダート重賞競走で、もっとも古い歴史を持つフェブラリーステークスが最初に行われたのは、僕が競馬学校に入学した1984年のことでした。レース名はフェブラリーハンデキャップで、G3の格付けです。ただ、今も昔も、競馬学校の生徒にとって夢は、いつかダービージョッキーになること。ダート重賞競走誕生のニュースにも、それほど強い感慨はなかったような気がします。

 それが特別なレース、手に入れたい勲章に変わったのは、ダート重賞競走として初めてG1となった97年でした。

――第1回の優勝馬として、歴史に名前を刻みたい。432キロの軽量馬、ビコーペガサスとコンビを組んだ僕は、ひそかに一発を狙っていました。しかし、結果は4着。勝ったのは、岡部幸雄さんが騎乗したシンコウインディでした。

 その後も、バトルライン(9着)、エムアイブラン(2着)、ゴールドティアラ(2着)で挑むも、あと一歩届かず。01年、02年はトゥザヴィクトリーとのコンビで挑みましたが3着、4着に惜敗。レース後、一人になったときに、臍を噛んだことを思い出します。

 初めて勝ったのはその翌年、03年です。パートナーはゴールドアリュール。3番手追走から直線最速の上がりで、ビワシンセイキの追撃を、半馬身凌いでの勝利でした。もうちょっと。もうちょっとだけ、頑張れ! 心の叫びが馬にも伝わったのだと思います。

 その後は、06年にカネヒキリ、08年にヴァーミリアン、15年にコパノリッキーと4度の戴冠。それぞれに個性があって、どの馬も、王者にふさわしい走りを見せてくれました。

 そして今年、5度目を狙う僕のパートナーは、目下6連勝中の新星、インティです。話題は、藤田菜七子騎手のG1初騎乗に持って行かれそうですが、僕とインティも負けてはいられません。今年の目標に掲げた、年間100勝のノルマとG1タイトルに向け、ギアを上げて挑みます。

あわせて読む:
・新井浩文、女性に乱暴した疑いで家宅捜索! 驚愕事件の裏側