長山洋子
※画像は長山洋子の1stシングル『春はSA-RA SA-RA』より

80年代アイドル美女黄金白書

第15回・長山洋子

 80年代アイドルの系譜で、新人女性アイドルが豊作だった年と、そうでなかった年というのはハッキリしている。

 前者の代表が、松本伊代(53/実際は81年秋デビュー)、小泉今日子(53)、堀ちえみ(51)、石川秀美(52)、早見優(52)、中森明菜(53)を生んだ82年であり、斉藤由貴(52)、中山美穂(48)、本田美奈子(故人)、南野陽子(51)、浅香唯(49)、そしておニャン子クラブが世に出た85年である。

 その年の新人がひとつの群像として語られることはあまりないが、実は84年も当たり年の部類。菊池桃子(50)、荻野目洋子(50)、岡田有希子(故人)、そして本稿の主役である長山洋子(51)と、なかなかのビッグネームが揃っているのだ。

 長山洋子は華々しいアイドル黄金時代の登場人物のひとりだが、他のアイドルと違い、芸の道一筋の子供時代を過ごしている。幼少時から民謡教室に通い、三味線とピアノをマスター。とくに民謡に傾倒し、そこからビクター少年民謡会の一員として活動することになる。そんな彼女が歌手になるのは自然な流れだった。

 スカウトされ大手芸能プロダクションと契約。民謡少女であったことから、当初は演歌歌手としてのデビューが予定されていた。ところが急遽、路線の変更が決まる。なぜなら彼女は、歌だけではなくルックスも優れていたからだ。

 “まだ16歳だし、まずはアイドルとしてデビューさせよう。演歌は大人になってからでも……”となったのだ。

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