朗読詩人 成宮アイコ エッセイ
「愛せない日常と夜中のイヤホンで流れるアイドル」

 朗読詩人の彼女が、大好きなアイドルのことと、なかなか好きになれない自分と生活のことを綴る連載。その第3回は、呼び捨てから考えるファンとアイドルの関係性についてです。

 女性を下の名前で呼び捨てにする異性が苦手なのですが、アイドルの現場でも同じだなと感じます。たとえば道重さゆみさんのようにニックネームが「さゆ」だったりした場合は良いのですが…。それでもできるだけさゆみんと呼びたいし、異性を下の名前で呼び捨てにすることになぜこんなに嫌悪感があるのだろう? と考えてハっとしたことがあります。

<ファンはプロデューサーではない>

 寝る前に、好きなアイドルたちのブログを読むのが毎日の楽しみです。今日いちにちお疲れさまでしたと自分をねぎらいながら、ぬくぬくとベットに入ってスマホを取り出します。好きな女の子の自撮りは正式な色で見たいから、時間設定で自動的にブルーライトカットになっている画面を治して、SNSをチェックしてからブログへ。

 レッスンの様子、おやつに食べたおいしかったもの、見た風景、そして形式美であるおきまりの挨拶で〆。

 よしよし今日も推しはかわいいぞ、と「いいね!」を押して、その横にあるコメントボタンと表示されたコメント件数の数字を見て、少し重たい気持ちになりました。

 なぜなら、そのアイドルの子の名前を呼び捨てにし、ブログの内容に毎回ダメだしを書くファン(のつもりだと思うのですが、まわりから見たらアンチ)の方の言葉が目に入ってしまうからです。

「おい◯◯、遊んでばかりいないでちゃんと練習しないと◯◯(他のグループ名)に追い抜かれるぞ」「◯◯、今日のライブは声が伸びていなかったよ」「◯◯を応援するのやめちゃうよ?(ウインクの絵文字)」

 百歩譲って女子同士で呼び合うようなかわいいニックネームを口にするのが恥ずかしかったとしたら、せめて名前に「ちゃん付け」「さん付け」をしてあげてほしい。そこは敬意です。

 敬意。その言葉を頭に浮かべると、ある風景を思い出します。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4