玉鷲
玉鷲

 19歳でモンゴルから日本へと渡った遅咲きの力士が、15年の歳月を経て掴んだ栄光。さらなる飛躍を誓う!(取材・文/武田葉月 ノンフィクションライター)

「最高です!」大相撲初場所の千秋楽。表彰式での優勝力士インタビューで、関脇・玉鷲は力強く、こう叫んだ。入門から15年の34歳。すでに「ベテラン」と呼ばれる部類ではあるものの、幕内最高優勝という「夢」は諦めていなかった。だからこそ、つかんだ大きな夢。

 思い起こせば、初場所最大の焦点は、休場が続いていた横綱・稀勢の里の「再起なるか」だった。ところが、稀勢の里は初日から3連敗を喫し、4日目に引退を表明。「土俵人生において、一片の悔いもございません」との言葉を残し、土俵を去ってしまった。初場所の土俵を引っ張ったのは10日目まで全勝だった横綱・白鵬。一方、玉鷲は5日目を終えて3勝2敗と、優勝戦線とは無縁の位置にいた。ところが、12日目。玉鷲は、これまで本場所で一度も勝ったことのなかった白鵬を撃破。白鵬は翌13日目にも貴景勝に敗れて3敗になったため、13日目を終えた時点で状況が一変、玉鷲が単独トップに立った。

「前半戦の状況からして、まさか自分が優勝争いのトップに立つとは思っていなかったから、14日目はガチガチだったよ(笑)。もう脳ミソ、真っ白!(14日目の碧山戦は)、立ち合い当たったあと、体が勝手に動いてくれて勝った。こうして迎えた千秋楽の遠藤戦、自分が負けて3敗になって、結びの一番で貴景勝が勝てば、優勝決定戦にもなる展開だった。でも、意外に焦りはなくて、“よ〜し、ここでやってやるぞ!”って燃えたね。燃える理由は、実はもう一つあったんだけどね(笑)」

 遠藤戦、玉鷲は冷静に相手を見ていた。遠藤の低い体勢を見逃さず、わずか2秒で突き落としの勝利。その瞬間、34歳での初優勝が決まった。

「(優勝が)決まった瞬間は、本当は体全体で表現したかったんだけど、結びの一番まで2番あったから、天井までいっちゃうくらいのうれしい気持ちを抑えていたんです。抑えていた分、“最高です!”という言葉が出ちゃったのかもしれないですね(笑)」

 玉鷲は、こう振り返る。そして、インタビューではサプライズが披露された。玉鷲いわく「もう一つの燃える理由」は、奇しくもこの日の朝、次男が誕生したことだった。

「生まれたのは、午前4時くらい。千秋楽のこの日が予定日といわれていたから、気が気じゃなくて……。だから深夜2時頃、病院に行ったんだけど、奥さんから“私は大丈夫だから、相撲に集中して”と言われて、いったんは自宅に帰ったんです。でも、それからしばらくして“男の子が生まれた”という知らせが入ったから、6時にもう一度、病院に行った。それで、ほんのちょっとだけ奥さんと次男と会って、朝稽古のため部屋に戻ったんです」

 次男の誕生は、玉鷲の初優勝の夢をより強くした。初優勝と子どもの誕生が重なったという力士は、もちろん史上初である。

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